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ズーは愛する動物と対等になりたい

濱野 そうですよね。多くの人は、「下品だからやめなさい!」と叱ったり、面白いことかのように笑ったりします。でもズーは違うんです。「ああ、今セックスがしたいんだな」「性欲が刺激されているんだな」と受け取り、その欲求に応えようとするんですよ。彼らは動物の性欲を抑圧もしないし、馬鹿にもしない。あるがままの欲求を尊重したいと思っている。

 動物を飼うということは、その動物の一生を背負うということです。もし自分がパートナーに選んだ動物の性を無視すれば、パートナーは死ぬまで性的に充足できない日々を過ごすことになりうる。だからズーは、自分たちが動物の性を満たすことは、パートナーとして当たり前のことだと思っているんです。

©文藝春秋

――“夫”や“妻”の考えとしては正しいですよね。

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濱野 特に「ZETA」のズーは、パートナーといかに心地よく生きていくかをよく考えていました。彼らが動物との性行為で大切にしているのは「相手と対等であること」なんです。この社会では、人間が動物を支配していますよね。食事のタイミングを決めて、待てを覚えさせて、人間社会に馴染むように訓練している。性的にも去勢や避妊手術をするなどして支配しています。それは、人間社会で共生するにはある程度は仕方ないことです。でもズーは動物と対等になりたい。愛するパートナーですからね。ズーと動物の性行為は、支配・被支配の関係から解き放たれるための行為なのです。

――人間が“受け入れる側”になることが多いというのには、そういった思いも影響しているのでしょうか。

濱野 そうなんです。 動物の性欲を受け入れることで、ズーは支配者という立場から“下りる”ことができるんです。

――ズーは動物との性行為が気持ちがいいからしているわけではない?

濱野 身体的な快感という意味でいうと、そこまで重要ではないのかもしれません。そもそも動物との性行為は身体的にはそんなに気持ちよくないらしいんです(笑)。でも心が満たされる素晴らしい体験だそうです。ズーは性行為に対して、身体的な快感よりも精神的な充足を求めているのかもしれません。

ベルリンの風景

交際相手からの性暴力をきっかけに

――相手が動物であるということを一度横に置いて考えてみると、すごくフェアで “普通”の考え方ですよね。

濱野 そうなんです。彼らは相手が動物であろうと、相手を一個人としてみています。ズーの話を聞いていると、どんなに小さくてかわいいチワワにも「ぬいぐるみみたい」なんて言えなくなりました。研究を通して、動物たちもそれぞれれっきとした一個人で、尊重されるべき存在なんだなと気づかされました。

 そもそも動物性愛を研究対象に選んだきっかけは、私がかつて10年程、交際相手から性暴力を受け続けていたんですね。

――はい。著書には壮絶な経験が書かれていました。

濱野 その性暴力からなんとか抜け出した後も、体験を自分のなかで消化することができず、性や愛について研究しようと京都大学大学院に入学したんです。でも性暴力やDVに真正面から向き合うのには、まだ拒否感がありました。そこでどうしようかなと思っていたら、当時の指導教員に「ジュウカンやってみたら?」と言われたんですね。