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「信楽高原鐵道」波乱万丈の86年とは?

 信楽高原鐵道、かつての国鉄信楽線は、これまで幾度も廃止の危機をくぐり抜けてきた。開業したのは1933年。しかし、戦時中の1943年には不要不急線としてレールなどの鉄材供出のために一時休止されてしまう。こうした不要不急線の休止は当時全国で見られたが、多くが戦後になっても復活することなく廃止されている。ところが、信楽線の場合は地域の強い要望もあって1947年に再起を果たした。これで一安心、となればいいのだが、1953年には集中豪雨で長期間不通を余儀なくされる。

 さらに1960年代には国鉄の赤字対策の一環で廃止対象にあげられ、このときは生きながらえるものの国鉄末期にも再び廃止対象に。ここでは第三セクター化によって命運をつなぎ、今に至っている。信楽高原鐵道になってからも、1991年には42名が死亡する列車衝突事故を起こし、2013年には台風18号で橋梁が流されて1年以上の運行休止……とまあ、実に波乱万丈な歩みをたどってきたのである。

 

「鉄道がなくなれば地図から消えるんです」

「昔は信楽焼もこの信楽線で運びましたし、信楽駅の近くには重油のタンクがあって重油輸送もやっていたんです。重油は信楽焼の燃料ですね。だから、信楽の町の人にとって、信楽線は地域を支えてくれたなくてはならない存在になっていたのだと思います。実際、戦時中に一時休止したときは復活に向けて地元の人たち自らボランティアで工事に携わったとも聞いています」

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 ただ、いくら地域を支え、支えられた歴史があるといっても時代は変わる。利用者数が減る一方の赤字路線をいつまで自治体が支援して存続させるのか。特にクルマを運転する大人たちにとって、どうしても鉄道は身近な存在ではなくなってしまう。最近では貴生川駅で接続している近江鉄道も存廃をめぐる議論の渦中にあり、信楽高原鐵道も決して安穏とはしていられないのだ。そうした中で、神山さんは「だからこそ廃止しては絶対にダメ」と語気を強める。

「鉄道がなくなれば地図から消えるんです。線路も信楽駅という駅の名前も。そうなると、信楽という町を知ってもらう機会も減ってしまう。町が廃れます。町があって鉄道がある。鉄道があって町がある。その関係が壊れてしまいます」

『あまちゃん』と三陸鉄道のように

 信楽の鉄路を未来につなぐため、神山さんは「とにかく知名度アップ」と話す。2013年の台風18号で長期運休した際も、メディアで大きく取り上げられるようなことはほとんどなかったのだという。それもこれも、“知名度のなさ”ゆえだ。だから、まずは関西の人たち、ひいては全国各地に信楽という町や信楽高原鐵道について知ってもらうことが欠かせない。その点、今回の朝ドラ『スカーレット』は渡りに船というわけだ。

スカーレットのラッピング電車

「ただ、今はよくてもそれで喜んでいてはダメ。むしろドラマが終わったあとも、信楽に来てくれる人がどれだけいるか。そのためにできることをしていかないと。今が大事なときだと思っています」

 朝ドラと鉄道で言えば、『あまちゃん』と三陸鉄道がおなじみ。ドラマ放送から6年が経った今も、三陸鉄道には多くのドラマファンがやってくるという。果たして信楽と信楽高原鐵道もそうなることができるかどうか。来年3月の『スカーレット』放送終了までは『スカーレット』ラッピングの車両も走る。京阪神からならば日帰りでも充分に楽しめる信楽高原鐵道の旅。信楽焼のタヌキたちに会いに行ってみてはいかが?

写真=鼠入昌史