羽生選手の言葉のチカラは報道すら変える
そんな羽生選手の持つ言葉のチカラは報道のありようすら変えつつあります。「羽生結弦 一問一答」と検索してみてください。新聞各紙で羽生選手との質疑応答を、一言一句書き連ねた記事がたくさん並んでいます。それらの記事、特に日付が新しいものになるほど「えっと」「フフフ…」「まあ」などの新聞社の記事には不向きな言葉も残され、ほとんどテープ起こしのような状態になっていることに気づくでしょう。まるでネットメディアが書く記事のようになっていることに。
従来の新聞記事であればカットされてきた部分も含めて羽生選手の言葉であり、実は意味がある。「えっと」があることで、思案しながら絞り出した言葉なのか、ためらわず断言した言葉なのか、同じ内容でも意味が変わる。「そのままの言葉」を知ることに価値があると感じるファンがいて、それを理解する記者がいて、記事の作り方そのものを変えつつあるのです。
決して公の場に出る機会は多いわけではなく、SNSなどでファンとの交流を深めるわけでもない羽生選手が熱烈に支持される理由、ファンの心をつかむ理由のひとつが、対象に深く思いを馳せて発するその一言一句にある。その感覚が静かに、確かに広がっていることが「一問一答」記事のありようにも表れていると感じるのです。
そんな羽生選手の言葉で、僕が個人的に深く射抜かれたのが、2018年に個人では最年少となる国民栄誉賞受賞が決まったときの言葉です。この際、僕は羽生選手の受賞辞退の可能性を考えていました。年齢的にもキャリア的にも羽生選手はまだまだ区切りの段階ではありませんでしたし、誰に限らず「政権が人気取りのために賞を贈っている」とする静かな批判もありました。五輪連覇という心からの望みを達成したなか、あえて欲しがる賞でもないだろうと。
しかし、羽生選手は賞を受けました。
そのときの言葉に、僕は自分の内心をつかみ取られたように感じました。羽生選手は、フィギュアスケートという競技を育てた先人たちや、冬季競技を盛り上げた他競技の活躍、被災地からの激励、そして自身を育ててくれたすべての人々を挙げながら、「すべての方々の思いが、この身につまっていることを改めて実感し、その思いが受賞されたのだと思っております」と綴りました。「この身につまるみなさんの思い」が受賞したのであると。