1988年作品(108分)/松竹/2800円(税抜)/レンタルあり

 先日、片岡鶴太郎にインタビューさせていただいた。役者として、である。

 鶴太郎は一九八〇年代後半、お笑い芸人としてバラエティ番組などで活躍している最中に俳優業にも進出している。当時、小学生だった筆者には衝撃的な出来事だった。

 その少し前にはビートたけしや明石家さんまもバラエティから俳優へという道を歩んでいるが、彼らにはどこか「二枚目」的なたたずまいがあり、「俳優」としての姿を自然に受け止めることができた。が、鶴太郎はそうではない。モノマネにリアクション芸。徹底して「三」の線、バラエティどっぷりの雰囲気があった。それだけに、「俳優として真面目に演じる」ことはイメージからあまりに遠く感じた。

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 今回取り上げる『異人たちとの夏』は、まさにその俳優進出の端緒となった作品だ。

 監督・大林宣彦、脚本・市川森一、原作・山田太一、主演・風間杜夫という、バラエティ要素の全くない布陣の「映画作品」である。しかも鶴太郎が任されたのは、芸人に当てられがちなコメディ・リリーフの役割ではない。

 孤独な脚本家・英雄(風間)が故郷の浅草で、幼い頃に死別したはずの両親に出会う――という幻想的な物語で、鶴太郎は英雄の父・英吉を演じている。なぜ、鶴太郎が抜擢されたのか。本作を見ると、その理由がよく分かる。

 寄席の客席から落語家に野次を飛ばし、口は悪いけど気風が良い。英吉は、そんなベランメエ口調で昔気質の下町親父。これに、当時の鶴太郎が芸人として培っていた「古き良き浅草」を背負ったかのような泥臭い雰囲気が、ピッタリとマッチしていた。

 特に印象深い場面が、物語中盤にある。英吉はランニングシャツ姿で英雄に花札のイカサマを教える。「俺たちが生きてりゃおめえ、こんなヤボテンにはしなかったんだが」そう言いながらアイスをよそう鶴太郎の横顔には、楽しげに見せながらも切なさが潜んでいた。そのため観る側は、この空間は幻に過ぎず、いつか消えさる儚いものだということを自然と痛感することに。芸人として「三」を追求してきた鶴太郎だからこそ出せたペーソス芝居が、物語の感動をより奥深いものにしたのだ。

 この後、鶴太郎は刑事ドラマや大河ドラマなどで活躍、「まさか俳優をやるとは」と思われた男から、いつしか芸人としての印象は消えていた。

 それだけに、あの当時の鶴太郎をあえて抜擢した大林の慧眼には恐れ入る。本作での名演と後の活躍は、その選択の正しさを証明することになった。名監督は演じ手の意外な能力を見抜く力もある。それを改めて確認できる作品だ。