1984年作品(122分)/東映/2800円(税抜)/レンタルあり

 松方弘樹は一九七〇年代に数々のやくざ映画に主演、本連載でも多く取り上げてきた。

 だが、当人にインタビューをさせていただくと、「主演俳優として一本立ちできた」のはその時期ではないという。

 では、彼の中でそれがいつなのかというと、やくざ映画量産期からだいぶ経った一九八四年の『修羅の群れ』まで待たなければならない。

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 松方にとって、同じやくざ映画でも大作で看板を張って大勢の観客を劇場にいれて初めてスターとして一人前――そうした意識があったのだろう。関東の巨大組織・稲川会を率いる稲川聖城(劇中では稲原龍二)の半生を描いたこの大作映画で主人公を演じた時に、ようやく松方は「スターとしての一本立ち」を意識することができたのだった。

 松方の晴れ舞台を祝うかのように、錚々たる面々が顔を揃え、盛り立てる。鶴田浩二、若山富三郎、菅原文太、北大路欣也といった東映と縁深いスターたち、北島三郎と鳥羽一郎の演歌歌手、張本勲と小林繁のプロ野球OB――。

 印象的なのは物語中盤、稲原が組長を襲名する場面だ。ここで鶴田、若山、丹波哲郎らの先輩スターに見守られながら松方が盃を受ける様は、その貫禄充分なたたずまいと相まって、「東映スターの玉座」を譲り受ける襲名式のように見えた。しかもその後、文太や北大路が子分役で参集、最後には鶴田が眩しそうに見つめながら「オメエは大きくなった」と感嘆するのだ。まさに「東映組」の看板を松方が受け継いだことを天下に知らしめる展開になっている。

 本作を皮切りに『最後の博徒』『首領になった男』『首領を殺った男』。松方は東映の「看板スター」としてやくざ映画の主演を張り続けた。だが、時代は変わっていた。男臭さや泥臭さが敬遠される時勢にあって、彼の主演作は明らかに時代遅れの感があった。東映を支えたスターたちも皆、やくざ映画から離れていた。

 それでも松方は、既に価値を失った「東映やくざ映画の看板」を、たった一人で背負い続けた。それは、本作の終盤に鶴田が松方に語りかける「俺の跡目はおめえ一人でいいぞ」という台詞をそのまま体現しているようでもあった。これまでの出演作の強敵に対して不屈の魂で挑み続けた男は、「時代の流れ」という、とてつもなく巨大な敵にも、屈することなく抗(あらが)ったのだ。

 その姿は、筆者にはいつも頼もしく映っていた。そして、どんなに相手が大きくとも、臆せず立ち向かう――、そんな松方イズムは、いつしか筆者の矜持ともなっていた。

 松方は亡くなってしまったが、彼の見せてくれた魂は、なんとか受け継いでいきたい。