いよいよ安定的な皇位継承をめぐる議論が始まる。最大の焦点は「女性天皇」「女系天皇」を認めるか否かだ。皇位継承の問題をどのように捉えるべきか、「週刊文春デジタル」では各界の識者に連続インタビューを行った。今回は、ジャーナリストの徳岡孝夫氏(89)に聞いた。

 僕の目が見えなくなってから、約1年たちます。ほかにすることがないので、『方丈記』のCDを何遍も聴いています。

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〈行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし〉

 で始まる、皆さんご存じの『方丈記』です。少なくとも10回は聴いて、僕はビックリしました。著者の鴨長明は歌人ですが、ジャーナリストの先駆けだと気づいたからです。

徳岡孝夫氏 ©文藝春秋

『方丈記』には、福原遷都のことが出てきます。平清盛が、京から神戸の福原へ都を移した話です。理由には諸説あって、奈良や京都の坊主がいろいろな要求を突きつけてくるのでしんどくなったせいだとか、源氏の攻勢から逃れるためだとかいわれます。

 鴨長明は〈いと、思ひの外なりし事なり〉〈世の人、安からず憂へ合へる〉と、その唐突ぶりや社会の戸惑いを表現しています。さらに、実際に福原まで足を運んで、現地を取材しているんです。その上で〈世の中浮き立ちて、人の心も治まらず〉という実態を、冷静に書いています。

『方丈記』には、大火事、地震、飢饉などの詳細な記録もあります。中国の文化大革命を日本の新聞がおべんちゃらたっぷりに書いた記事などより、はるかに客観的ですよ。

 福原遷都の5年後、平家は源氏に負け続けて壇ノ浦まで逃げて、ついにザブンと海へ飛び込んで滅びてしまいます。清盛の孫にあたる安徳天皇は、1歳で即位して、このときまだ6歳。清盛の奥さんの二位尼から「波の底にも都の候ぞ」と促されて、一緒に飛び込みはったんです。

鴨長明

 さて、女性天皇と女系天皇の問題です。僕に言わせたら、京から福原へ都を移すことができたんです。平家が安徳天皇を連れて都落ちしたせいで、京都は天皇不在になったから、3歳の弟を後鳥羽天皇として即位させました。正統な天皇が2人同時に存在したんです。壬申の乱をはじめとして、皇室の存続が危なくなった例もないわけではない。

 ことの良し悪しを言うのではありません。そういう思いもよらない事態が、“時と場合によっては”起こるんです。だから女性天皇と女系天皇も、“時と場合によっては”あり得るのではないか。緊急避難的な事態もやむを得ないのではないか、と考えるわけです。

 僕がそう思い始めた理由は、たったひとつ。男の子がお生まれにならないから。このままでは、お血筋が絶えてしまう。この生物学的な現実は、どうしようもありません。