いよいよ安定的な皇位継承をめぐる議論が始まる。最大の焦点は「女性天皇」「女系天皇」を認めるか否かだ。皇位継承の問題をどのように捉えるべきか、「週刊文春デジタル」では各界の識者に連続インタビューを行った。今回は、国際政治学者・三浦瑠麗氏に聞いた。

三浦瑠麗氏 ©文藝春秋

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 11月10日に行われた祝賀パレードの報道を見ていて気づいたのは、新聞に載った写真やテレビの映像の多くが、オープンカーに乗った両陛下のお姿を、雅子皇后の側から写していたことです。主役は天皇陛下のはずなのに。

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即位祝賀パレードでの両陛下 大代表撮影

 伝統、といいますが、いまの皇室は伝統よりも大衆的人気を中心として捉えられています。戦後に始まった皇室の改革には、国民との距離を近づける大きな効果がありました。けれども、大衆化が始まったこと自体は、皇室を政治化した明治以来のこと。

 その当然の流れで、今があるわけです。そんな中、女性皇族は注目され、黙って淑やかにしていることを期待されるなど、振る舞いをとやかく言われるようになりました。週刊誌などは、皇室の嫁姑問題を口さがなく報じます。つまり、伝統を重んじているようでいて、実は大衆社会の方がその当時の「世間的道徳観」を皇室に押し付けているわけです。

「女性が、自分の夫の存在によってのみ社会的に規定される」ことは、私にとっては耐えがたいこと。けれども、高齢世代にはそうした価値観が残っています。ですから、急進的に物事が変わるだろうとも思いません。さらに特別な身分制である皇室の問題は、一般的な男女同権と同列には語れないところがあります。

エリザベス女王2世 ©iStock.com

 ただ、各国の王室を見渡すと、王位継承については、長子相続が一般的になりつつあります。たとえばイギリスの王室は、男性優位の価値観を捨てました。土地持ちの貴族という身分制度が残るイギリスは、男女の格差よりも身分の格差を保つことのほうを優先したのではないかと思います。身分制を民主的な世論に合わせることで守ろう、ということですね。

 戦後の日本では、男女差別は残っているとしても、男性同士の間では平等性が高まった。身分制を守ることよりも、「男系男子」の皇位継承という原理原則が優先されてきたのではないでしょうか。先進民主主義国の中で日本のように女性を前面に出さないという選択をし続けてきた国は、いまや珍しいと思います。