いよいよ安定的な皇位継承をめぐる議論が始まる。最大の焦点は「女性天皇」「女系天皇」を認めるか否かだ。皇位継承の問題をどのように捉えるべきか、「週刊文春デジタル」では各界の識者に連続インタビューを行った。今回は、東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏に聞いた。
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僕は、「女性天皇や女系天皇を容認すべきか。男系男子を守るために旧宮家を復活させるべきか」といった問題について議論する気も、オピニオンリーダーになる気もないので、今回は歴史的な事実だけを述べたいと思います。
まず前提として、天皇家は「男系男子」の血筋を意識して守ってきたのではなく、結果としてこうなったにすぎないと考えます。長い歴史の流れで言えば、天皇家という家を繁栄させることが大切で、高貴な血をつなぐという考えは二の次でした。
そう考える理由のひとつは、古代貴族社会の婚姻が「招婿婚」だったことです。女性が嫁に来るのではなく、女性の家へ男性が婿として通うのです。子どもが生まれれば、女性の家で育てられます。摂関政治の藤原氏が娘を皇室に嫁がせ、生まれた子が天皇になると外戚として権力を振るった背景には、この婚姻の形があります。つまり、女系でつながっていたのです。
丸谷才一先生が指摘したように、日本文化の中心は恋です。文化の中心に文学があり、文学の中心に歌があり、歌のメインテーマは恋でした。貴族はみんな、恋の歌の研鑽に励みました。花鳥風月や男と男の世界を詠うことが多い中国の漢詩とは、全く違う世界です。
そして日本文学の粋といえば、『源氏物語』。その序盤のストーリーは、光源氏と、父の後妻である藤壺との密通です。生まれた男子は、やがて天皇になります。ここで大事なのは、光源氏は天皇の第二皇子として生まれましたが、すでに臣籍降下していること。皇族ではない一般人なのに、天皇の父になったわけです。
光源氏はまた、源典侍(げんのないしのすけ)という女性と恋愛関係になります。光源氏はまだ20歳前で、源典侍は60歳近いという年の差ですが、いま言いたいのはそこではありません。「典侍」というのは、天皇の最も身近に仕える、位の高い女官です。当然しかるべき家柄の女性であり、天皇と男女の関係になって、産んだ子どもが天皇になる場合もあります。
しかも源典侍には、修理大夫(すりのかみ)という旦那のような存在の男性もいました。つまり彼女は、天皇のお側近くにいながら、旦那がいて、たまに通って来る光源氏とも関係をもつのです。
もちろん物語ではあるのですが、一般人である光源氏が天皇の父親になったり、次の天皇を産むかもしれない女官がほかに複数の男性と関係をもつ話を読んでも、当時の貴族たちは「おかしいだろ。こんなことありえない」とは言いませんでした。