なぜ共産党と共産主義を全面否定するのか
これには当時の田中義一首相とその内閣が専制的な体質で、同年2月に行われた初の普通選挙でもあからさまに選挙に干渉。不評を買っていたことも関係している。この事件自体、政権の仕掛けとする見方もあったほど。時事新報「過激運動と厳法の効果」が、逆に「右傾主義」にも警鐘を鳴らしたのと、国民新聞と報知新聞が、共産党と切り分けて、無産政党の存在意義を強調したのが目立った程度だった。
しかし「秘密結社」「陰謀」「国体の変革」と言いつつ、なぜ共産党と共産主義を全面否定するのか、各新聞とも明確な指摘はない。
この点について、纐纈氏の戦後のインタビューも収録している下里正樹・宮原一雄「日本の暗黒・実録・特別高等警察第1部『五色の雲』」は、取り締まる側の内務省警保局保安課の課員からも疑問の声が出ていたとし、「(彼が)最後に持ち出すのが『国体の変革』である」と書き、課員の言葉を引用している。「国体の変革を目的とする点からいえば、私が申し上げるまでもなく違憲であって、たとえ政党とするも、かような政党がわが国に容認されるべきものでないことは無論である」。同書は「弾圧の根拠を大日本帝国憲法第3条にいう、天皇の地位は『神聖ニシテ侵スヘカラス』に求める。それよりほかになかったのである」と結論づけている。当時の感覚からすれば「おそれ多い」ということだろうが、各紙の社説はそこまで詰めて論じていない。
石橋湛山は共産主義をめぐる討論の必要性を強調
そんな中で、東洋経済新報1928年4月28日号に掲載されたのが石橋湛山の社説「共産主義の正体 その討論を避くべからず」だった。「勃興せんとするある思想を権力をもって抑圧し撲滅せんとするほど、愚極まったことはない」と断定。
「記者のここに強く主張せんと欲するのは、ただ次の一点だ。世人はどういうわけか、共産主義と聞きさえすれば、その正体の何ものかもしらずして、頭から国家を覆滅する危険思想なりと断定する。そして、いたずらにその研究討議をさえも抑圧するが、これはかえって危険なことだ」と、共産主義をめぐる討論の必要性を強調している。さすが湛山と言うべきか。各紙の社説より二段、三段高い視点からの論評だった。