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“下着をはかない”文化で女性たちが墜死? 「日本で女性用下着がなかなか普及しなかった」理由

世界が注目した高層ビル火災にみる「女性の下着史」 #2

2019/12/16
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「船長が船の沈没するまで降りられるか!」と怒鳴った山田専務

 白木屋の専務・山田忍三という人物はキーパーソンになるだろう。「婦女界」1933年2月号の特集にも「失火事件と私の対応」という文章を寄稿しているが、筆者紹介には「予備陸軍少佐で、昭和2年、前専務西野恵之助氏に懇請されて悲境の白木屋に入り、果断と積極政策によって不景気の真っ最中に大建築を決行し、昨年11月、あの東洋一を誇るモダン建築が完成し、今は内容の充実へと努力の途上でありました」とある。社長が関西駐在だったため、日本橋白木屋の全責任を負っていた。口八丁手八丁のやり手というか、「ハッタリ屋」の一面があったのではないか。エピソードに事欠かない。

 火事が発生すると、客を誘導して屋上に行き、避難活動を指揮。消防服の警視庁消防係長から「危険だから早く降りてください」と言われると「馬鹿! 船長が船の沈没するまで降りられるか!」と怒鳴った。12月22日の犠牲者の葬儀では、委員長として「皆さまを永の旅に立たせたのは私の罪であります。私にたくさんの落ち度があったのです。どうか私を恨んでください。憎んでください」と涙ながらに弔辞を述べた。営業再開の前夜、「一、店舗は焼けたるも精神は焼けぬ」に始まる5カ条の「復興の訓」を書き、各所に張り出した……。

これが「白木屋ズロース伝説」の発端? 山田忍三専務の談話記事(東京朝日)

「店員精神がこの不幸な災難に際して如実に発揮された」

 こうした対応もあって、世間の白木屋に対する視線は極めて好意的だった。その最大の理由は客から犠牲者が出なかったこと。「来客中に死者がなく、ことごとく店員であったことは、勇敢にも顧客の救出を先にし、自らを後にした店員の中からいたましい犠牲が生じたものといえよう。大火の模様は国内外にいち早く報道されたが、店内につちかわれていた店員精神がこの不幸な災難に際して如実に発揮されたものとして、彼らの死に深い同情と賛辞を寄せている」と、「中央区史 下」ももろ手を挙げて褒めている。

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火災の犠牲者を悼む白木屋店葬(東京朝日)

 さらに評価を決定的にしたのは、天皇の威光だった。「昭和天皇実録」1932年12月20日の項にはこんな記述がある。「去る16日、東京市日本橋区所在の株式会社白木屋における火災のため、多数の死傷者発生につき、この日天皇皇后より御救恤として金五百円を東京府に下賜される」。山田専務は「白木屋の大火」の「はしがき」の2項目目で「一、畏(かしこ)くも 上聞に達し 恩賜の御沙汰を賜う、店員一同と共に恐懼おくあたわぬところであります」と書いている。