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 だがしばらくして、市原さんは何事もなかったかのように平静を装った顔をして病室に戻った。

「塩見が『疲れた』って言うから、私は『少し眠れば? 楽になるよ』とやさしく言ったの。彼も『そうだな』って。最後までものすごく冷静に接しました。だから、どうだったかな、死ぬと思ったかな、思わなかったかな。

 医者が『最後に言いたいことは?』とちょっとでも口にしたら、その言葉が心外なんです。『聞く必要ない!』って医者に抗議しました。『これでもうお別れだ』と絶対に気づかせないように、日常でいること、取り乱さないこと。それも演技だわ」

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 塩見さんは「おやすみ」と言って永眠した。享年80だった。

 後日、市原さんの希望で、お別れの会は参列者が飲み食いできる青山斎場が選ばれた。市原さんは会場も入念に準備した。まるで舞台を作る演出家のように、飾りの花の種類や遺影の数や位置など、こまごまと指示したそうだ。

©︎共同通信社

 最後、お棺の中で白い花に埋もれた塩見さんに向かって、「哲ちゃん、あたしもすぐにいくからね」と市原さんが声を掛けると、横にいた所属事務所の社長でマネージャーの熊野勝弘さんが、「市原さん、そんなこと言わないでくださいよ!」と慌てて止めた。すると彼女は「じゃあ3年くらいでね」と言い直したとか。

 確かにその約3年後に市原さんは病に倒れ、闘病の末に彼岸へ旅立っていった。

いいことだけ考える 市原悦子のことば

沢部 ひとみ

文藝春秋

2019年12月6日 発売