世界は東西両陣営に分かれて対立していた。明日にも米ソ間に戦争が始まるかもしれない。現にその年には米側の偵察機U2が領空侵犯したためソ連に撃墜され、予定されていた米ソ首脳会談が取り止めになる事件があった。ハンガリーにいたジョージ一家は深夜ブダペスト郊外の無人地帯を横切って西側に逃げ、米国に亡命した。渡米後に両親は離婚し、ジョージの母親はいまシアトルに住んでいる。
ジョージは、生まれ育った、幼い記憶の中にあるロシアを、忘れられない。いったん亡命した者の再入国は認められない。ソ連に帰れば、その瞬間に逮捕され、シベリア送りになる。だがジョージの胸の中には、ロシアへの憧れが燃え続けている。
「僕がアルバイトするのは、学校が休みになるたび東欧に戻り、ロシアの周辺をウロウロするための旅費稼ぎなのだ。入れば捕まるから、近付くしか出来ない。だが、ヨーロッパ行きの安い貨物船を見つけるのが大変でね」
ふーん、母なるロシアって、そんなに恋しくなるものか。国へ帰れない国民。それは日本人には想像のできない感情であり国家だった。
その数日後、誰か(私だったかもしれない)が、ふと問うた。
「ジョージ、きみロシア民謡知ってるかい」
「知らない」
「カチューシャ、知らない? こんな歌だが」
日本語で歌ってみせたが、反応は全くなかった。
「それじゃ『赤いサラファン』は? 『ともしび』は?」
われわれ日本人が声をそろえて歌えるのに、ロシア人がロシア民謡を知らないのだ。幼くしてソ連の勢力圏から逃げ出し、流浪の生活の中で故国を思う歌など習う余暇がなかったのか。「ヴォルガの舟唄」すら知らないというので、誰かの発案でジョージにロシア民謡を教えることにした。
毎晩集まるわけではないから、歌の授業はあまり進まなかったが、さすがスクリャービンの孫、うたごえ喫茶の店先に立った程度までは習い憶えた。むろん歌詞はすべて日本語であった。ロシア民謡は、窓の外に降る夜の雪によく似合った。