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そうこうするうちに私の留学期間は終わりに近付いた。節約して貯めた資金で私はニューオリンズ回りで西海岸に行く寝台列車の切符を買い、サンフランシスコから再び船で帰国し、新聞社に復帰した。
何ヵ月いや3年ほどが経った。某日、社へ電話があった。大学町の友からだった。近頃は日本人留学生が増えた、あちこちの大学を回って易しい単位を取り溜める抜け目ないヤツもいるよ、といった話だった。
ふと思い出して私は尋ねた。
「ジョージ、どうしてる?」
「あいつか。死んだよ」
「エッ、どうして?」
「スコビエに大地震があっただろ。その日、彼はスコビエにいたんだ。可哀想に、運の悪いやつだった」
言うべき言葉がなかった。私は受話器を置き、しばらく瞑目した。そうか、母なるロシアは、親を慕う子を招き寄せて殺す、そこまで無慈悲な親だったのか。
当時はユーゴスラビアの町だったスコビエはソ連邦と共に滅び、今はマケドニア共和国の首都になっている。人口50万ほどの古都だが、1963年の大地震で1000人以上の死者を出した。その後、丹下健三の設計指揮により面目を一新したという。