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「雪を見たいなあーッ」過酷な戦地・ニューギニアで300人の日本兵が流した涙

「雪を見たいなあーッ」過酷な戦地・ニューギニアで300人の日本兵が流した涙

「南の島に雪が降る」

2020/01/01

 出征までの数日間に姉(沢村貞子)に舞扇をもらい、2人で惜別の『鶴亀』を踊ったり、偶然、映画館で甥の長門裕之(当時8歳くらい)が出ている稲垣浩監督、阪東妻三郎主演の『無法松の一生』を見たり、津川雅彦(当時3歳)とも面会することができたり……というエピソードも興味深い。

 出征先は南方のニューギニアだった。地図で見ると、その遠さに驚かされる。グアムやサイパンよりもっともっと南で、ほとんどオーストラリアのすぐ近くなのだ。

ニューギニアの戦いで捕虜となった日本兵 ©AFLO

 私は戦史に疎い者ではあるが、ニューギニアは日本軍のメチャクチャな南方戦略によって、中途から食糧や物資の補給が途絶え、いわば見捨てられたかっこうとなり、兵士たちは戦闘どころか飢餓と病気(特にマラリア)に苦しめられた。「ニューギニア死の行進」は有名で、ニューギニアに派遣された兵士20万のうち生還できたのは2万人に過ぎなかったという。

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 著者はオランダ領ニューギニアの密林の地マノクワリで衛生兵の班長という任務につく。兵士たちの士気はあがらず、イラだっている。そこで著者が俳優だったと知った上官が、兵士たちの心をやわらげるには演芸しかない、演芸分隊を組織せよという命令をくだす。

 さてそれからのなりゆきは、まるで黒澤明の映画『七人の侍』のようだ。マノクワリにはザッと40くらいの雑多な部隊が点在していて、各隊から演芸分隊志願者を募り、選抜してゆくのだ。もとは三味線弾きだった男、歌手だった男、フラメンコの踊り手だった男、友禅のデザインをやっていて舞台装置に興味があるという男、洋服屋で和裁もできるという男、家がカツラ屋だったという男……。さまざまな特技を持った男たちがチームを組むことになってゆく。

©iStock.com

 その中で強烈な存在感を発散していたのが、九州出身の僧侶で博多仁輪加(にわか)が得意だという男。見るからに「大人物」だったこの人はその後、著者が最も信頼する相談相手になってゆく(この和尚の孫がマンガ界の鬼才・小林よしのりなのだった! 小林よしのりは『ゴーマニズム宣言』シリーズの中で『南の島に雪が降る』のこのエピソードを描いている)。