私の実家があるのが北海道札幌市北区のあいの里というところなのだが、正直このあいの里という地名、子どもの頃からずっと好きになれない。90年代以降に造成された新興住宅地で、それまであったアイヌ語地名を消し去ってこんなニュータウン丸出しのダサい名前にしてしまったのも嫌悪の原因なのだが、何より「あいの里」が言いづらいのだ。発音しようとすると高確率で噛む。そうなると「自分の住所もちゃんと言えないのかよ」と笑われる。だから声に出して言いたくない。住所を名乗るのが苦痛だった。住人は会話の中で地名を発声するのだということをかけらも考慮せずに、書面上だけで決めてしまうからこんなことになる。それともひょっとして、「あいの里」で噛んでいるのは私だけなのか。私の滑舌が異常に悪いだけで、他の人はちゃんと発音できているのか。ちなみに「あいの里」のアクセントは「の」に付きます。「あいのり」ではなく「あいのさと」です。
そんな経験を抱えてきたからか、「言いづらい言葉」に対して昔からずっと敏感だった。自分はなぜ「あいの里」が発音しづらいのか、ずっと考えていた。私がいつも噛む部分は「里」だった。さと。どうやらアクセントの次に来るサ行の音が苦手なようである。「風呂敷」とか「ピロシキ」とか「橋幸夫」とかも噛みやすい。だからアクセントの位置をずらせたらもっと発音しやすくなる。英語っぽく終わりから二つ目の音にアクセントを置いてみるとか。「アイノサート」。「ハシユキーオ」。
滑舌の悪さは昔からの悩みの種で、人前で話すとだいたい悲惨なことになる。ラジオ番組に何度か出演させてもらったことがあるが、毎回決まって「何を言っているかわからなかった」という感想が混じっている。しかし、にもかかわらず、子どもの頃から実は早口言葉は得意だった。東京特許許可局! 坊主が屏風に上手に坊主の絵を書いた! 竹垣に竹立て掛けたのは竹立て掛けたかったから竹立て掛けた! そういうことをすらすらとよどみなく喋るのは好きだったのだ。かたちが決まっているから練習できるし。その効果かは知らないが、中学の担任教師が卒業アルバムに執筆した「わがクラスの平均的な一日」に登場する私の姿は、「喋り方はハキハキしている」というものだった。この助詞「は」のニュアンスが非常に重要なのだが、この前段には日直をあやうく忘れかけていた私が登場する。要するに、報告書のようなあらかじめ形の決まった文面を読み上げるときにハキハキしているだけの人間だと。自分の言葉を考えて話すことはできない、事務処理能力に欠けた人間だと見切っているに等しかった。