映画『Wの悲劇』や漫画『ガラスの仮面』にも、こんな血を吐く
「階段下りれない。悔しい」
女優の松岡茉優は2019年 10月のインタビュー中で、あるエピソードを語った。 それは彼女が『万引き家族』でカンヌのレッドカーペットを歩き、『勝手にふるえてろ』で初主演を飾るよりもたぶんずっと前、子役から始まり高校までに何百というオーディションを受けたと語る若き日の思い出だ。
2人1組で芝居をさせられ、その片方である松岡茉優に対してだけ、演出家は「上手いのは分かったから、心動かしてみせてくれや」と繰り返し繰り返し言ったという。その帰り道、市ヶ谷駅の階段の上で、松岡茉優は携帯電話から母親に対してつぶやいたのだ。「階段下りれない。悔しい」と。
爆笑問題の太田光が、2013年6月の深夜ラジオで映画『桐島、部活やめるってよ』で松岡茉優を評した言葉は、今もファンの間で語り草になっている。「まあ別に僕にとってはそこそこの映画でしたけども、ただ1人ね、バケモノみたいな女優が出てましたね。やけに上手い。上手すぎて浮いちゃってんですよ(中略)たまに出てくるんだよね、バケモノみたいな役者ね。あれは樹木希林みたいになるんじゃないかな」
8歳で子役として芸能事務所に所属して以来、多くの作品への出演を通して松岡茉優の演技力はよく知られていた。業界内から「天才」「バケモノ」という多くの賛辞を送られながら、松岡茉優は映画『ちはやふる 下の句』まで大きな映画賞の受賞がなく、『勝手にふるえてろ』まで主演作さえもなかった。
無冠の帝王、いや女王、などという称号は彼女にとってありがたくもないものだっただろう。国民的大ヒットとなった朝の連続テレビ小説『あまちゃん』にも出演し、能年玲奈、橋本愛、有村架純という共演者たちが放送後に次々とスターダムに駆け上がるのを見上げながら、彼女たちよりキャリアと演技力で頭ひとつ抜けていたはずの松岡茉優はオーディションに通う日々を送っていた。「悔しくて階段が下りれない」という言葉は、そういう日々の中から生まれた言葉だった。