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『桐島……』『何者』『武道館』 時代を反映した小説を書きたい――朝井リョウ(1)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2015/05/09

genre : エンタメ, 読書

note

新聞小説を書きたくて学級新聞を創刊

 

――小説家になりたいと思い始めたのは何歳くらいですか。

朝井 5歳くらいの時から、いつか文章を書く仕事をしたいし、きっとするだろうという謎の予感を抱いていました。でも自分の住んでいる場所はそういう文化から遠い気がしていて「ここからは何も生まれない」とも感じていました。小学生の途中から、郵送して投稿すれば東京に届いて読んでもらえると分かり始めたんですよね。

――小学生時代、何か書いていたんですか。

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朝井 小4から小6まではずっと日記を書いていたんですが、その日記を担任の先生が「日記というより小説を読んでいるみたいですね」と褒めてくれてすごく嬉しくて、6年生だったかな、学級新聞を作ります。それはなぜかというと、子どもながら「新聞連載ってすごいな」と思っていて。新聞連載をしたいから、じゃあまずは新聞を作ろうと(笑)。ペイントソフトで勝手に学級新聞を作って、その中で小説を連載していましたね。1年くらい。誰にも求められていないのに。

 クラスで起きた出来事とかを書いた記事と僕の小説を載せていたんですけど、はやみねさんのようなミステリーを書きたいと思っていたんですよ、一丁前に(笑)。だけど物語が全然浮かばなくて……。それで、今思うとチャレンジングなんですが、教室に勝手にポストを作って「あなたが知っている謎を投稿してください」って書いておいたんです。そこに届いた投稿をもとに小説を書いていましたね。今思うとすごく難しいことをしていますよね(笑)。「なんで、あの日だけ星が見えなかったのかなと思いました」とか、理科の実験の時のこととか投書されていて、「なんでだろう」って考えて書いていました。

――よく書けましたねえ。

朝井 マジで誰にも求められていなかったんですけれどね……。ミステリーの連載が終わって、次何を書こうかなと思っている頃がちょうど、大人の文芸書に触れはじめたころだったんですよ。その頃に吉田修一さんの『パーク・ライフ』(2002年/のち文春文庫)を読んだのかな。内容は全然理解していなかったんですけれど、でも、単純に憧れました。これが洗練された文章というものなんだろうなあ、って。そういうものがやってみたいなと思いました。

 それで、すっごく気持ち悪いんですが、次の連載で異母兄弟の話を書いたんですよ(笑)。でも異母兄弟の話って時系列が難しいんですよね。いつどこで産まれたとか、そういうところが。連載が終わってから1人だけ、クラスメイトのトミダさんという女の子が、卒業間際に「異母兄弟の話読んでたけど、時系列おかしかったよ。1年ずれていると思う」って言ってきたんです。「すげー、この子だけ読んでくれてた! しかもかなり細かく!」と感激しました。たった一人でも読んでくれている人がいて、しかも時系列のミスに気づくほど丁寧に読んでくれているってことがビックリだったんです、ひとりで「連載を終えて」まで書いていた身としては……。

――ネズミの話も異母兄弟の話も、結末まで書き切ったんですか。「小説家を目指しているけれど、最後まで書き切れないのでどうすればいいですか」という若い方からの質問も多かったんです。

朝井 僕は、子どもの頃から書き切る癖はついていました。なぜなら連載をしていたから(笑)。途中で書けなくなる人って、思いついた時は「傑作だ!」と思ってがーっと書きはじめるんだけれど、書いている途中できっとテンションが下がっていっちゃうんでしょうね。うまくいかないところが出てきて、「傑作だ!」のときの理想からどんどん離れていって……それで、途中でそんな自分のふがいなさに持ちこたえられなくなるんだと思うんです。僕は人に見せることを前提に書いていたので、とにかく完成させないと読ませられないという気持ちがあって。今となっては、それがよかったんだなと思います。

 他には、双子が入れ替わる、みたいなマンガみたいな話も書いていましたね。小6の時は、『デイズ』というタイトルの長編を書きました。それが、「DAYS」のつもりなのに間違って「DEYS」って書いてあるんですよ、バカすぎる(笑)。それは原稿用紙でいうと120枚くらい書いたと思います。双子の話も100枚くらいはあったんじゃないかな。