「12の大切なこと」から「天皇」の存在を都合よくカット
そのほかの「教育勅語」本も見てみよう。
「教育勅語」本には、保護者向けの教育書を装ったものが多い。こうした教育書は出版不況でもよく売れる。親は自分のためには節約するが、子供のためには積極的に投資するからだ。
ただ、それでトンデモ「教育勅語」本にたどりついたのでは意味がない。
高橋史朗監修の『物語で伝える教育勅語 親子で学ぶ12の大切なこと』(明成社、2012年)はそうした教育書の代表格である。高橋は「親学」の提唱者で、保守派の論客としてもよく知られる。
高橋も伊藤と同じく「震災時の日本人の冷静な行動」を引いて、「先祖代々からの『日本人の魂』が脈々と受け継がれている(中略)ことが明らかになりました」といい、「この日本人の中に脈々と受け継がれてきた徳目を形にしたものこそが『教育勅語』です」と結論づける。
そして同書は、「教育勅語」をつぎの12の徳目に整理する。
「父母に孝に」「兄弟に友に」「夫婦相和し」「朋友相信じ」「恭倹己れを持し」「博愛衆に及ぼし」「学を修め業を習い」「以て知能を啓発し」「徳器を成就し」「進で公益を広め世務を開き」「常に国憲を重んじ国法に遵ひ」「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」(仮名遣いが統一されていないが、原文ママ)
「教育勅語」を評価する者の多くは、この12の徳目を掲げ、「普遍的な価値観だ「これを否定する者はおかしい」と主張する。
だが、よく見てほしい。最後が「義勇公に奉じ」と中途半端なかたちで終わっていることを。
そう、じつはこのあとに「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という文言が続くのである。これは「天皇のために尽くせ」という意味だ。さすがにこれを「普遍的な価値観だ」とはいいにくい。そこで、この部分はなかったことにされてしまうのである。
同じ傾向は、手塚容子『教育勅語絵本』(善本社、2013年)や梅沢重雄『人生でいちばん大切な10の知恵 親子で読む教育勅語』(かんき出版、2014年)、教育書ではないが、倉山満『逆にしたらよくわかる教育勅語』(ハート出版、2014年)、などにも見られる。
とはいえ、「教育勅語」から天皇の存在を消してしまうのはさすがに無理があろう。「教育勅語」発布時の日本は、天皇が主権者だったのだから。
さらにいえば、「教育勅語」を以上の12徳目に整理することもかならずしも正しい解釈というわけではない。
杉浦重剛『昭和天皇の学ばれた教育勅語』(補訂版、勉誠出版、2017年)に掲載された「現代語訳」では、徳目の数こそ同じ12だが、数え上げる箇所が違っていたりする。
このように「教育勅語」本は、「教育勅語」を都合よく解釈しているところがある。これで「普遍的な価値観だ」といわれても循環論法との誹りをまぬかれない。