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「教育勅語」で人生が変わった歌手

 こうした「教育勅語」本は、着実に若い世代に影響を与えてもいる。最後にその例を紹介しよう。山口采希『自由と愛国のマーチ』(かざひの文庫、2016年)がそれだ。

「にっぽんげんき! バンザイソングライター」の山口采希公式HPより

 山口は、1991年生まれのシンガー・ソングライター。もともと政治に関心はなかったが、音楽プロデューサーから紹介された「教育勅語」に感銘を受け、2012年「教育勅語」をテーマとした曲「大切な宝物」をリリースした。

 ちなみにこのプロデューサーは、「教育勅語」以外にも、「八百万の神、南京大虐殺、武士道、特攻隊」などの話を盛んに伝えてきたという。最近ありがちな保守系の人物なのだろう。

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 山口はこれ以降、「五箇条の御誓文」、自衛隊、北朝鮮拉致被害者などをテーマとした曲をつぎつぎにリリース。その一方で、「愛国行進曲」や「月月火水木金金」などの軍歌をカバーし、2016年には「産経新聞」のPRモデルもつとめて「愛国の歌姫」などと持ち上げられた。

『自由と愛国のマーチ』は、こうした活動を山口本人が振り返ったものである。

 同書によれば、思想的な音楽活動にのめり込んだ結果、「変な方向に行っちゃってるね」といわれて一時ファンがいなくなり、父親は「右翼か」と怒り、母親と姉は音楽活動に触れなくなり、弟は彼女が「君が代」を歌う姿を見て「宗教みたい……」と感想を述べたという。

 読んでいて思わず「お察しします……」とつぶやきそうになったが、どう生きるかは個人の勝手なのでそれはまあいい。

 ただ、彼女がどこまで「教育勅語」の内容を理解しているのかははなはだ疑問だ。「大切な宝物」の歌詞にも、やはり天皇への言及がまったくない。

 それもそのはず、山口は、天皇の存在をぼかしたことで悪名高い「国民道徳協会訳文」(佐々木盛雄訳)を参照し、「教育勅語」の説明に伊藤哲夫の『教育勅語の真実』を引いている。

 つまり、トンデモ「教育勅語」本の世界観にもとづいて「教育勅語」を捉えているのだ。これでは「普遍的な価値観だ」と感動するのも無理はない。

「被害者」とまでいうつもりはないものの、トンデモ「教育勅語」本はこのように若者の人生を変えてもいるわけである。あらためて侮ってはならないといっておきたい。

「教育勅語」は森友学園問題で脚光を浴びることになった ©時事通信社

今後も「教育勅語」本は絶えない

「教育勅語」はひとことでいえば、発布された1890年当時にはベターな国民道徳の指針だった。それを否定するつもりはない。

 だが、その分、時代が変化すると、不十分な内容にもなった。日清戦争後には政府内でも問題が指摘され、改訂などの動きが起こった。実際に改訂こそされなかったものの、それを補完するかたちで「戊申詔書」や「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などが発布された。

 当然ながら、社会が大きく変化した現在では「教育勅語」はあまりに古すぎる(だから支持者さえ「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の部分をごまかす)。歴史的な文書以上のものではない。普遍的な部分があるのならば、そこを抜き出して新しい文書でも作ればいいだけのことだ。

 森友学園の一件で、新しい「教育勅語」本も準備されていることだろう。だが、それは果たして適切なものなのかどうか。われわれはしっかり見極めていかなければならない。ここに紹介したトンデモ本は、その反面教師となるにちがいない。