読者世代であった団塊の世代が定年退職
翻って、石戸諭さんが深く論じるのは、これらのヤフーニュースなどニュース配信系サービスが構築する「エコシステム」に背を向けて、古くから手掛けるマグロウヒルモデルとID統合による電子版で全ツッパをした日経「新聞社」の独特なポジションの成立から光明を見出そうとする動きです。もちろん、読売朝日毎日産経各紙も独自で読者の囲い込みを始め、いまやネットで読める新聞紙の記事は限られてきており、新聞記事のURLが流れてきて「おっ」と思っても会員しか読めないとか、無料登録しても読める記事の月間本数が限られているという半分有料モデル的な状況になっていることに気づきます。
同様に、雑誌社についても業界を取り巻く環境は厳しく、新聞社以上に先に業界の死がやってくる可能性について模索しなければならない状況にあります。端的な話、一番の読者世代であった団塊の世代が定年退職して通勤しなくなって駅売りの雑誌、夕刊紙、スポーツ紙が一気に縮小。さらに年金生活者も後期高齢者に突入すると無料で得られる情報に群がるようになって、今度は可処分時間をテレビやネットにさらに奪われて市場が減少していき、取る新聞は1紙、1か月あたり情報摂取のために使う予算は中央値も平均値も4,000円を切る状態になってしまえば、新聞社も通信社も雑誌社もいつまでも中高年市場に頼るわけにもいかなくなるのも仕方のないところだと思うのです。
ヤフーニュースが担う役割の大きさ
そういう業界環境にあって、芸能やスポーツといった軽く読むための読者がたくさん集まる分野から、こみいった国際事情やスキャンダルも含めたカネと手間と暇をかけた調査報道まで、多くの分野を飲み込むのがネット上でニュースを配信するデジタル・プラットフォーム事業者ということになり、寡占に近いヤフーニュースの担う役割が大きいというのは石戸諭さんの問題意識になります。
今後はさらにニュースがネット経由、スマホ経由で閲覧されるようになるとき、単に役割・機能として「ヤフーニュースは凄いですね。影響力ありますね」というレベルでは済まない公益的な何かすらをも担う状況になり得ます。つまり、入社3年目の若者がヤフトピ選んでる状況で右往左往するのは、単に記事を配信する業者の利益や懐事情にダイレクトに影響するというだけでなくなります。トップ記事に「元日産会長ゴーンさんレバノンへ逃亡」とするとき、どのトーンの記事を上に置くかこそ、ヤフーが単にデジタル・プラットフォーム事業者という枠を超えて「それって編集権を行使しているに等しいですよね」と言われる状況にすらなるわけです。