『聖なるズー』(濱野ちひろ 著)

 読了してから1ヶ月が経つが、毎日本書が投げかけた問いについて考え続けている。性愛とはなにか。対等であるとはなにか。そして善悪は誰が決めるのかということである。

「ズー」とはズーファイルの略で、犬や馬といった動物と愛着関係を結びセックスする人たちである。京都大学大学院で文化人類学を学ぶ著者は、ドイツにある世界唯一の動物性愛者の団体「ゼータ」を調査し、家に泊めてもらい、散歩に付き合いながら、用意されたものではない生の声を丁寧に聞いていく。けれども、客観的な論文だけでは終わることはできない。ノンフィクションとして、主観的に自分の問題として向き合う作業が必要だった。

 著者は19歳から10年間にわたり、パートナーからドメスティック・バイオレンスと性暴力をうけていた経験があったと告白する。それから10年が過ぎても、性愛に対して苦しみや疑問を持ち続け、傷が癒えることはなかったことが執筆の契機だった。

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 ズーを批判する人たちは、動物とは言葉で合意が取れず対等ではないから性的虐待だと主張する。けれども著者は問う。言葉の合意が取れていた自分が受けた性暴力はどうなのか。言葉にはどれほどの意味があるのか。ズーは言葉はなくとも、互いが望んでいることを理解できるのだという。そして、人間の都合で身近にいる動物には性欲は存在しないものとみなされ、去勢され、永遠の子供のように扱われることの不当さが障害者との比較で語られる場面もある。ズーたちは性愛は動物との対等な関係を結ぶ上で重要な要素だと主張する。だから、動物のマスターベーションの手伝いも行う。

 けれども、どのように誠実に語ろうとも世間からは「病気」や「変態」だというレッテルを貼られ、嫌がらせを受ける。動物性愛は法律で禁止されている国の方が多い。ゼータのメンバーが、自分を偽ることに疲れ切った末に、恥ずかしいことをしているわけではないし、隠すこともないと語る場面に圧倒される。

 そうした彼らの体験を通り抜けた後、著者も、そして読者も以前と同じ自分ではいられないだろう。愛とはなにかの答えは本書では提示されない。ズーの言う「動物は裏切らない愛を与えてくれる」という言葉は福音のようで、性愛の哀しみを私は感じる。けれども、なぜ他者が善悪を断じることができるのだろう。そして、ズーが示す愛は他者に対してだけではなく、あるがままの自分を愛することでもある。著者も大きな迂回を通して、自分を肯定し、受け入れていく。

 最初は物見遊山のような気持ちで読み始めたが、いつしか心の奥底の自分の傷を引っ張り出し、著者と共に格闘していた。思い込みや偏見を打ち壊した先の風景は、見たこともない自由な地平が広がっていた。

はまのちひろ/1977年、広島県生まれ。早稲田大学卒。ライター業を経て京都大学大学院に進学。現在同大大学院博士課程にて文化人類学に取り組む。本作で、開高健ノンフィクション賞受賞。

 

かわいかおり/1974年生まれ。神戸市外国語大学卒。『選べなかった命』で大宅賞、新潮ドキュメント賞をW受賞。

聖なるズー

濱野 ちひろ

集英社

2019年11月26日 発売