2人が越境越えを果たした瞬間
以下は「悔いなき命を」に従う。
「それとなく国境のことを聞くと、冬は雪で道が閉ざされ、警備隊詰所に数人の隊員が雪に埋もれて寂しく暮らしているだけ、とのことです。それは気の毒だから、その人たちを慰問に行こうじゃないか、と言い出しますと、宿の人も喜んで……」。
翌日、警察署長宅に行くと、元日の祝宴中で大歓待を受け、署長がソリを出してくれることになった。「生まれて初めて乗るホロもない馬ゾリ。四辺は縹緲とした雪野原」「国境警備隊半田詰所へ着いたのは午後二時を回っていたでしょうか。慰問の言葉もそこそこに、私は国境見物を願い出ました」。信用した隊員は自分たちはスキーで、銃や連絡用電話機を嘉子たちが乗った馬ゾリに載せた。
「暗くなっては国境が見えないから早く早くと馭者をせき立てます」「『ここだ』と言われて、馬ゾリが止まるやいなや、二人は手を取り合って駈け出しました」「雪との闘いで邪魔になった手提げカバンを投げ捨て、暑くなったので、首に巻いていたセーターを投げ捨てた時、杉本が『国境を越えたぞ!』と叫び、首から吊るしていた呼び笛を吹きました。それと同時に、二人の若い兵士が行途に立ちふさがりました」と嘉子は書いている。
「岡田嘉子・境事件の真相」は「国境警備隊半田詰所」を「半田警部補派出所」としており、この方が正しいようだ。
「嘉子が彼に突き付けた踏み絵だったのだ」
「越境」は杉本の越境の動機をこう分析している。モスクワでの演劇修行への強い関心と併せて、「いとしい病妻と、嘉子という熱い愛人との狭間で葛藤があった。2人に接する杉本の愛に偽りはなかったが、このまま2人に平等に分かち合うのは偽善者であり、必ず破綻のときがくる」。
升本喜年「女優 岡田嘉子」は嘉子の動機をこう書く。「杉本の心を心だけでは絶対自分のものにできないとすれば、杉本のその体を物理的に智恵子の手の届かないところへ引き離すほかに道はない。樺太国境を杉本に迫ったのは、嘉子が彼に突き付けた踏み絵だったのだ」。
どちらもその通りかもしれない。ほかにもさまざまな推測があるが、どれも裏付ける根拠はない。そして、それから戦争を挟んで長い年月がたった。