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当時でも破天荒すぎた「亡命」

 メディアも2人の行動の真意を測りかねたようだ。当時の地元紙「樺太日日新聞」は5日付朝刊で「熱愛の旅を樺太へ 岡田嘉子恋の逃避行 新春に投ず桃色トビツク(トピック)」「朔北の異風景に まあ素敵だわ」と、ピント外れの報じ方。有名人の越境、亡命が当時でもいかに破天荒な出来事だったかが分かる。

樺太日日新聞の報道。越境、亡命を視野に入れていなかったようだ

 1月6日付(実際は5日)夕刊の続報では「謎の杉本と嘉子・果然入露 拳銃で橇屋を脅迫 雪を蹴って越境 夕闇の彼方に姿消ゆ」(東京朝日)、「赤露と通謀か 亜港領事館に逮捕厳命」(読売)などと、越境の模様を詳しく報道。東京朝日の同じ紙面の下部には「戦捷の新春に咲く!」という映画雑誌の広告や、各レコード会社が発売した新曲の広告が。「露営の歌」「上海だより」「塹壕夜曲」「兵隊さん節」……。各紙とも、2人が自分たちの意思で越境した可能性を打ち出したが、朝日は6日付朝刊で「謎解けぬ雪の国境 思想上の悩みか 邪恋の清算か」と、まだ迷っている。

詳しい状況を報じた東京朝日の第2報

 その後の動きを新聞報道で見ると、日本の外務省が「北樺太」の首都アレキサンドロフスク駐在の総領事を通じてソ連側に2人の捜索と引き渡し交渉することに(8日付夕刊)。総領事からの報告で、2人が国境のソ連監視所に勾留され、生存していることが判明(9日付朝刊)。2人はアレキサンドロフスクへ護送され、ソ連当局の取り調べを受けていることが分かった(15日付朝刊)。

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 誰もが驚く越境劇に周囲の動揺は大きかった。

ぷっつり途絶えた2人の消息

 小山内薫らの築地小劇場の流れを汲む劇団で杉本が所属していた新協劇団は、それまでもメンバーの多くが検挙されるなど、弾圧を受けており、「劇団の規約を乱し、劇団の方針に関しての社会的疑惑を引き起こしたことについては断固として糾弾せざるを得ない。行動は劇団とは無関係」として除名処分を決定。嘉子が所属した井上正夫一座は除名せず「できるものなら温かく迎えたい」との態度で好対照を見せた。

 岡田嘉子の前夫・竹内良一の実妹で嘉子の親友でもあった竹内京子は、事前に相談を受けていたが、警視庁の調べに「ただ雪を見たいからとだけ言っていました」と答えた。「婦人公論」は1938年3月号で良吉の妻智恵子の手記「杉本良吉と私」を、4月号では嘉子が10代で生んだ博の手記「子を捨てた母へ」を掲載。話題を集めた。

 越境、亡命から8カ月余りたった8月30日付東京日日には「フェイクニュース」が。同年7~8月に起きた日ソ間の国境紛争「張鼓峰事件」の停戦協定締結後の情報として、岡田嘉子がソ連領で共産学校の日本語教師をしているが、顔色も青ざめ頬の肉も落ちて、かつて舞台やスクリーンでファンを騒がせた晴れやかな面影はおくびにも見えないといわれる。一方、杉本はハバロフスクで健在……。このあたりで2人の消息はぷっつり途絶える。