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校了間際に足した「一文」とは?

――板鳥さんが引用する、原民喜の文章についてはいかがですか。

 

宮下 いいなと思った言葉をたまに手帳に書き出しているんですけれど、これは何年か前に書いたものをたまたま見つけて「めっちゃいい」って思って(笑)。「これを書き留めた時に感銘を受けた気持ちは今でも変わらないわ」と思いました。

――「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」って、宮下さんの文章世界に通じますよね。とにかく『羊と鋼の森』は、自然の描写や音楽の表現がとてもきれいで、美しい。

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宮下 いや、とんでもないです。私もそういうものがすごくいいなと思うんですが、まだまだです。そこを目指していきたいと思っています。

――それにしても、職人的な自意識の持ち主の一人称で書くのって、すごく難しくなかったですか。

宮下 あえてやってみようと思ったんですね。私はそれが一番いいと思って書き始めたわけですけれども、でも読んだ人に「これ嘘だよ」って言われないかどうかはすごく思いました。三人称だったら「これ嘘だよ」と言われても、これは彼という個人の話だから、と言える。でも一人称で書いた時にそういわれると、すごく痛いんです。心情に関して嘘は書きたくないと思って書いている、なのに嘘だと言われてしまうのは痛い。でも、この小説に関しては一人称しかありえないと思いました。三人称にするとすごく他人事になってしまうというか、きれいな話になってしまう気がしました。

――でもだからこそ、一人の人間の内面で起きる大きなドラマが描き出せたわけですよね。外村君の逡巡と、小説の森に踏み出した頃の宮下さんは、重なる部分がありますか。

宮下 ああ、私はそれほど悩まないです。自分の才能についても考えないですね。だって、才能が「ない」って言われても「ある」って言われても、「あ、そう?」っていうしかないですから(笑)。

――調律師仲間や、調律するピアノの持ち主たちの人生背景も描かれていて、読み応えがあります。でも、プロットをきっちり組み立てずに書かれたそうですね。

宮下 そうなんです。だからゲラになってからもすごく直しました。たくさん足したし、削ったし、順番を入れ替えたりもしましたね。校了間際ぎりぎりになって一行足したりもしました。

――どの部分ですか?

宮下 「僕の中にもきっと森が育っていた」っていう1行を足した時に、「ああ、これが書けてよかった」って思ったんですよね。今思うと別にどうってことないんですけど。

――242ページですね。どうってことありますよ!! すごくいい場所に挿入されていますね。ピアノの森の中に入って、彷徨って、でも森に育ててもらって、抜け出たら何もないわけではなく自分の中に森が育っていたわけじゃないですか。

宮下 そうなんですそうなんです、ありがとうございます(笑)。この小説は書くのがとても楽しかったんですよね。本当に好きなように書くっていう感じだったんです、これは。いつも好きなように書いてはいるんですけれど、でもこれは書ききった感があったんです。『窓の向こうのガーシュウィン』(11年刊/のち集英社文庫)も実は書ききった感があったんですけれど、あれが本当に鳴かず飛ばずだったんですよね。版元に対して「ああ、申しわけない」って思うくらいで、私が書ききった感があるものは売れないんじゃないかっていう怖さがありました。自分の好きなものを出し切るというのは、好きな人は好きになってくれるかもしれないけれど、多くの人には支持されないんだろうなという気持ちがあったんです。だからこそ、本屋大賞をいただいたことに驚いているんです。

窓の向こうのガーシュウィン (集英社文庫)

宮下 奈都(著)

集英社
2015年5月20日 発売

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――私、『窓の向こうのガーシュウィン』、大好きです。傑作だと思っています。自分は何かが欠けている、と思いながらものびやかな内面世界を持つ主人公の佐古さんが大好きです。鳴かず飛ばずなんてびっくりですよ。もったいないですよ。

宮下 そう言っていただけて嬉しいです。