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板鳥さんははじめから私の中にいました

――さて、外村さんは専門学校を卒業後、地元の楽器店に就職します。そこは高校時代に出会った調律師、板鳥さんがいる職場でもある。この外村さん、そして板鳥さんはどういう人物像をイメージしていたのでしょうか。

宮下 出番は少ないけれども、板鳥さんははじめから私の中にいました。師がいて、そこに弟子入りする男の子の話を書きたかったんです。板鳥さんはもう、ブレない存在というイメージでしたね。私にもこういう師匠がいたらいいのにな、って思うくらい(笑)。本人は全然師匠ぶっていないんですけれど、たぶん周りから見たら板鳥さんを師匠だと思って敬わっている人はたくさんいるだろう、というところをまず書きたかったんです。師匠はどんなふうに弟子に教えるんだろう、という興味もありました。でも結局板鳥さんは、特に具体的に教える存在にはならなかったですね。心の支えとして存在している。その姿を見ておぼえるというわけではないですけれど、彼の存在があるだけで、周りの若い人たちはいろんなことを学んでいく、という話にしました。

 外村君は、最初は何も持っていない無垢の17歳の少年として登場して、そこからどんどん調律されていくイメージでした。就職するのが20歳くらいで、そこから修行が始まりますよね。20歳くらいの男性というのはたぶん自分のことしか考えていないけれど、それをすごく薄めて書いたつもりだったんです。彼が考えているのは自分のことではなく、調律のことだろうな、って。それはたぶん、ものすごく職人的な考え方だと思うんですよね。自分がその職業をまっとうするなか、よりよくありたいと思うという。自分が格好よくなりたいとか、お金儲けをしたいとか、そういうことではないんですよね。ものすごく限られた自意識の持ち主ですね。

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――私はもうすっかり板鳥さんファンです。職人的な自意識すら超越しているような様子に憧れますね。そもそもなぜ師匠と弟子に興味を持たれたのですか。

宮下 なんででしょう。ずっと興味のあるテーマだったんですけれど、どういう形で書くのがいちばんいいのか分からなかったんです。たぶん、弟子の立場から、どうやって学んでいくかというところに興味があったからだと思います。私には師匠というか、恩師と呼べる人がいないんです。だからそういう存在が羨ましかったというのもあります。「この人から多くを学びました」という人が欲しかったんです。

――でもいざ書いてみたら、師匠はいろいろ丁寧に教えてくれるタイプではなかった。

宮下 なかったですね。書き始めの試行錯誤していた頃は、板鳥さんがべらんめえ口調な感じの師匠だったりもしたんです。「そんなことは訊くもんじゃねえ」みたいな(笑)。でもこれは別に私が求めていた人じゃないわと思って。言葉は荒いけれど面倒見がいい人は、師匠の次くらいの存在だなと分かって、もう一段階上にいる人が欲しかった。確かに自意識を超越しているなと思いましたね。年齢ははっきり書いていないんですけれど、年齢に関係なく、最初からこういう人だったんだろうな、って。

――板鳥さんの簡潔なアドバイスが印象に残りました。「ホームランを狙ってはだめなんです」という言葉とか。

宮下 それは自分の中にあった言葉ですね。私はホームランを狙って小説を書いたりはしないです。打てる球を一番遠く、人の取れないところへ飛ばすというくらいの気持ちで書いているので。「これで一発狙ってホームラン」みたいには思わない。

――「この仕事に、正しいかどうかという基準はありません。正しいという言葉には気をつけたほうがいい」という言葉については。

宮下 北海道の阿部都さんという若い女性の調律師の方に取材をさせていただいたんですけれども、私が「正しい音程が…」というようなことを言ったんです。そうしたら阿部さんが「調律師の世界では正しいかどうか、という言葉は使わないですよ」とおっしゃったんですね。「えっ。正しい音というのはないってことなの?」って思って。阿部さんがおっしゃっていたことは、ほんとうのところは分かっていないです。でも、小説を書いていても正しいかどうかなんて分からない、とはすごく思うことなので、心に残っていました。