イスラム教の創唱者ムハンマド(マホメット)は、1385年前のきょう、632年6月8日に亡くなった。

 ムハンマドがメッカ郊外のヒラー山の洞窟にこもり、神(アッラー)からの最初の啓示を得たのは、その22年前、610年のこと。以後、預言者としての自覚から、アッラーの教えを説くようになったムハンマドは、迫害を受けながらも宣教を続けた。622年9月24日には、アラブ系の2つの部族が争いを続けていたヤスリブへ、調停者としてメッカを信徒たちとともに脱出して移り住む。この移住はヒジュラ(聖遷)と呼ばれ、のちにこの年がイスラム暦の元年とされた。このとき、ヤスリブはメディナと改称、ムハンマドを長とする共同体(ウンマ)およびイスラム国家が成立する。

14世紀に描かれたとされる、ムハンマドの絵 ©getty

 以後もムハンマドは、ユダヤ教徒などと戦いを続ける一方、外交交渉により周辺のアラブ諸部族を改宗させたり、同盟を結んだりしながら政治的立場を強化していった。死去したのは、メッカ巡礼を終え、メディナに帰ってからまもなくのことだった。ムハンマドの亡骸は、彼を看取った最愛の妻アーイシャの部屋に埋葬された。その墓廟はのちに「預言者モスク」内に吸収され、メッカ巡礼者は巡礼後に墓廟を参詣するのが慣例となっている。

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 亡くなったムハンマドの後継者の人選をめぐり、ウンマは分裂の危機にさらされた。しかし、ムハンマドの古くからの教友であったアブー・バクル・スィッディークが対立を抑え、多くの信徒から忠誠の誓い(バイア)を受けた。こうしてムハンマド亡きあと、アブー・バクルがイスラム社会の最高指導者である初代正統カリフとなる。