六編の短編が収められた作品集である。表紙カバーの白黒写真が、この本の主題を物語っている。お辞儀をする二人の女(若い女性と、女の子)と一人の兵隊。背中に軍隊毛布などの大きな荷物を背負い、前かがみで敬礼する彼は復員兵らしい。勇ましい出征から一転して、疲労困憊して「帰郷」した敗残兵。戦友の死を遺族(若い戦争未亡人と、忘形見の娘か)に伝えた、その帰りかもしれない。兵隊帽、兵隊服、ゲートルを見れば、復員直後の姿か。 しかし、実際に復員兵のことが書かれているのは、「歸鄕」「夜の遊園地」「金鵄のもとに」の三編で、あとの三編、「鉄の沈黙」「不寝番」「無言歌」は、復員できなかった(すなわち戦死した)兵士を主人公としたものだ。

 帰ってきた者と、帰れなかった者。「戦後」は大きな不平等、不公平から始まった。前線と銃後。戦後にいち早く金や富をつかんだ者と、呆然自失して、社会の底辺で生きなければならなかった者(パンパンや傷痍軍人たちのように)との格差。戦後社会は、そうした絶対的な差別や格差、不公平な国民の分断から開始された。国民皆が“天皇の赤子”であり、“一億一心”だった戦中の日々が懐かしく思えるほどに!

 六編のなかでも「不寝番」はやや変わった構成だ。戦後二十八年の陸上自衛隊と、戦時中の日本陸軍の兵隊が入れ替わり、富士山麓の兵舎で不寝番で立哨している。

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 ここで示されているのは、戦後の陸上自衛隊と、旧陸軍とがそのまま連続しているという認識だ。「実は何も変わっていないのではないか。陸軍が陸上自衛隊という名前に変わ」っただけではないか。高校中退で、やくざの使い走り出身の自衛隊員は、そう考える。

 こうした認識は、半分正しく、半分正しくない。陸上自衛隊は旧陸軍を引き継いだものであり、海上自衛隊は旧海軍そのものだ。だが、日本帝国軍隊が、少なくとも建前は、平等や公平、そして“一億一心”や“大東亜共栄”を語ったのに、戦後の自衛隊は、平和憲法を無視し、軍事占領の下で、不平等、差別、格差を隠蔽する形で、創設されたことは明らかだ。

 何も変わっていない。しかし、何もかも変わっている。変わっていないのは、戦争が悲惨で、残酷なものであり、大多数の者が酷い目に遭うものということだ。変わっているのは、こうした戦争の悲惨さを直接的、間接的にも知るものが少数者となった時代の流れだ。本書はそうした風潮に否を唱える。戦争は見ようとする者だけに実相を見せる。

あさだじろう/1951年東京都生まれ。97年『鉄道員』で直木賞受賞。2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞受賞。06年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞、司馬遼太郎賞を受賞。10年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞受賞。『一路』『獅子吼』など著書多数。

かわむらみなと/1951年北海道生まれ。文芸評論家。法政大学国際文化学部教授。著書に『紙の砦―自衛隊文学論』などがある。

帰郷

浅田 次郎(著)

集英社
2016年6月24日 発売

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