「何故、安定を捨ててプロを目指したのか?」
じつは筆者は、プロ入りが2005年10月で瀬川六段と1カ月違いという縁がある。瀬川アマがプロ入りを決めた一戦で、筆者はプロになって初めて解説を担当した。それまで大勢のお客様の前で解説をする経験はなく、緊張した思い出がある。
そんな縁もあり、筆者は瀬川六段と「ブログ研」という会で一緒になる。「ブログ研」とは、渡辺明三冠、片上大輔七段、瀬川六段、筆者と、ブログを書く棋士4名で行う将棋の研究会だ。
瀬川六段とは練習対局で盤をはさみ、打ち上げで酒を酌み交わし、多くの時間を共有した。
瀬川六段は人の気持ちがわかる男だ。だから誰にでも優しい。先ほどの藤井七段へのエールも、並々ならぬプレッシャーにさらされている後輩を気遣ったのだろうと想像する。
また、長年の付き合いで女性に人気があることもわかった。人の気持ちを考え、よく話を聞く男はモテるものだ。
「何故、安定を捨ててプロを目指したのか?」
素朴だけど聞きづらいことを、酔いにまかせて聞いたことがある。
「やっぱり棋士はいいよ。自分は両方やったからわかるんだ」
瀬川六段が噛み締めるようにそう答えたことをよく覚えている。
茨の道でも「やっぱり棋士はいいよ」
――ある時、ブログ研の打ち上げで高級なステーキを食べに行った。
それは瀬川六段が「フリークラス」を脱出した時のことだった。棋士編入試験に合格すると、まず「フリークラス」に入る。そして規定の成績をあげると順位戦C級2組に入ることになる。
順位戦に在籍する限り、自らの意思以外で引退させられることはない。しかし、「フリークラス」で10年以内に規定の成績をあげられないと、引退に追い込まれてしまう。
つまり「フリークラス」と選手生命の“終わり”は背中合わせなのだ。
瀬川六段の場合、特例の編入試験のため、一部ではその実力を疑問視する声もあった。だから、瀬川六段にとって「フリークラス」を脱出して実力を示すことは、選手生命を伸ばすとともに、あとに続く人たちのための使命でもあったのだ。
誰も口にせずともブログ研メンバーはそのことを理解して応援していた。酒席でみせた瀬川六段のホッとした表情はいまでも忘れられない。
折田さんが合格できたとしても、さっそく「フリークラス」での引退へのカウントダウンが待っている。
どこまでも茨の道は続くのだ。そんな茨の道を歩んでも瀬川六段は、
「やっぱり棋士はいいよ」
そう言うのだった。