2004年にベンチャーウイスキーを創業し、たったひとりでウイスキーを造り始めた肥土伊知郎。幾多の難関を乗り越えて立ち上げたこだわりの蒸溜所で造られる「イチローズモルト」は今年、世界で最も権威あるウイスキー品評会で最高賞を受賞した。
海外で「ウイスキー界のロックスター」と評される男は、いま新たな挑戦を始めている。
ワイン瓶に詰めた最初のウイスキー
今年、世界で最も権威あるウイスキー品評会「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA)2017」のシングルカスクシングルモルト部門で最高賞を受賞し、その名を轟かせたベンチャーウイスキーの「イチローズモルト」。2005年に発売されたその最初のシリーズのラベルには、「製造販売元:笹の川酒造 企画:ベンチャーウイスキー」と記されている。
江戸時代から続いた家業が経営危機に陥り、埼玉の羽生蒸溜所で20年仕込んだウイスキーの原酒400樽が廃棄の危機にあったとき、手を差し伸べてくれたのが福島の笹の川酒造。肥土はその酒蔵の一角で、最初のウイスキーを仕込んだのだ。ネーミングも、ボトリングもまったくの手探り状態だった。
「どんな瓶につめようかなと考えていたら、たまたま使われてないワインの瓶が置いてあって。どうするのか聞いたら使わないというので、その瓶を使わせてもらいました。ネーミングも、シングルモルトだったら蒸溜所の名前をつけるのが一般的なんですが、原酒を仕込んだ羽生蒸溜所はもう存在しない。それなら自分の名前をつけようと思って、最初にアクトーズモルトにしようかと思ったんですけどゴロが悪いので(笑)、下の名前でイチローズモルトにしたんですよ」
ワインの瓶に詰められた初代のイチローズモルトは、600本。自社のウイスキーを持ってバーを巡った経験と自分の味覚を信じて、存分に個性を際立たせた。
それから、渾身のイチローズモルトを持って再びウイスキーバーを巡り始めた。馴染みになったバーで、「新しい会社立ち上げたんですよ、味を見てください」と話すと、まずはその心意気が喜ばれた。その後に、「美味い!」という文句なしの称賛が返ってきた。
行く先々で事情を話し、味を評価してくれるバーテンダーがいると、取引のある酒屋を聞き、酒屋に取り扱いを依頼するということを地道に繰り返した。600本を売り切るまでに要した歳月は、約2年。気づけば、訪ねたバーの数はのべ2000軒に達していた。
気が遠くなりそうな数だが、サントリー時代、家業を担った時期を通してフィールドで見たこと、聞いたことを指針にしてきた肥土にとって、「これいいね!」というバーテンダーの笑顔は、なによりの支えになっていた。