秩父蒸溜所らしい味を求めて
身内を巻き込んで多額の借金を背負うと、失敗を恐れて無難な道を選びたくなるのが人情だろう。しかし、肥土はその重圧をはねのけて、挑戦的な蒸溜所を作った。胸の内にあったのは、「個性」を究めることだった。
羽生蒸溜所のウイスキーも、最初の「イチローズモルト」、2本目の「キング・オブ・ダイアモンズ」も、バーテンダーが注目したのはその独特の風味だった。
ウイスキーの絶対的な市場であるバーでは鮮烈な個性がものをいうと体感していたから、大胆な決断に躊躇はなかった。
まず、大麦のしぼり汁を発酵させる発酵槽。最近ではステンレス製が主流というなかで、手入れに手間暇を要する木製の発酵槽を導入した。しかも、木材にはミズナラを使用している。発酵槽には米松材を使用するのが一般的で、ミズナラの発酵槽を持つのは世界でもベンチャーウイスキーだけだ。
木の発酵槽は内側に乳酸菌が住み着くため、風味にも良い影響を与えるといわれる。あえてミズナラにしたのは米松とは異なる効果を期待したからで、専門家も「前例がないのでわからないが、ミズナラの発酵槽には米松材とは違う乳酸菌がつくかもしれない。結果として秩父蒸溜所らしい個性を持ったウイスキーができるかもしれない」と肥土に話したという。
また、「現代の蒸溜所が効率を求めて省略しているようなことも復元したい」という想いから、原酒を詰めた樽を保管する倉庫の床はむき出しの地面で、空調管理設備もつけなかった。いまでは珍しい伝統的かつ非効率な手法だが、やはり「秩父蒸溜所らしい個性」を求めて、秩父の自然がもたらす厳しい寒暖差や湿度のなかで熟成させることを決めた。