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「歴史の反省」は可能か 小林秀雄はなぜ反省しなかったか 宿命としての大東亜戦争論

戦後七十年を経てなお引き裂かれる戦争観。「歴史の悲しみ」と向かい合うためには

2015/03/19
note
 

 戦後七十年を迎えた現在でさえなお私たちは、「あの戦争」に対して素面と仮面の二重性を強いられている。私たちが私たち自身に向けて語り継ごうとする「大東亜戦争」の歴史と、他者に向けて語らざるをえない「太平洋戦争」の歴史といった二重性である。

 たとえば、素面において私たちは、あの「大東亜戦争」が罪悪ではなく失敗だったということを知っている。つまり、それが「罪」なのだとしても、戦争に敗けたがために被らざるを得なかった「罪」だということを知っているのだ。「勝者の裁き」である東京裁判自体が占領軍を正義の側に立たせるための政治的パフォーマンスだったことは当然だが、そこで提示された「A級戦犯」や「C級戦犯」なる概念が、ニュルンベルク裁判によって拵え上げられた「平和に対する罪」あるいは「人道に対する罪」といった事後法に基づくものであり、なお、満州事変から敗戦まで十四回も首相が交代している日本の国家的指導者と、開戦から敗戦までを一貫して指導したナチスとを同列に論じること自体が、そもそも無理を孕んでいることなどは誰の目にも明らかだろう。いや、もし本気で「人道に対する罪」を問うなら、東京大空襲と広島・長崎への原爆投下を実行したアメリカをも裁かなければ、そもそもフェアな裁判と言えないことは自明である。

 しかし、その一方で戦後日本は、東京裁判の結果を織り込んだサンフランシスコ講和条約に調印することで再出発を期したのだった。つまり、戦後日本は、形の上では東京裁判の正統性を認めているのであり、その効力によって国際社会に復帰したという過去を持つのだ。とすれば、他国に対する仮面において私たちは、あの戦争が「共同謀議」の「侵略戦争」であったことを一度は認めているのであり、そうである以上、その否認が、日中・日韓関係はもちろん、戦後秩序の生みの親であるアメリカとの関係(安全保障を含めた)をも損なう行為であることは覚悟せねばなるまい。

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 なるほど戦後は、そんな仮面を素面に食い込ませて、いつしかそれが素面そのものとなるのではないかと夢見たこともあった。つまり、東京裁判が言うように、悪いのは軍部と国家指導者であり、罪なき一般国民は今度こそ占領軍からの贈り物である「平和と民主主義」を生かしてより良き社会を作り上げようというわけだ。この物語さえ信じ込めれば、私たちは自己喪失をしても、己の矛盾に満ちた現実だけは見なくて済む。

 だが、歴史はそんなに甘くはない。事実、アメリカの相対的な力の低下によって戦後秩序が不安定となるなかで、中国と韓国が「歴史問題」を政治カードとして自覚し始めた現在、改めて私たちは、仮面が仮面でしかなかったことに気づきはじめている。その意味では、戦後七十年にして初めて私たちは、歴史の矛盾を矛盾として見つめる場所に立っているのだと言えるのかもしれない。

 だとすれば、今一度、素面において戦前を振り返っておく必要があるのだろう。それは、私たちが私たち自身の素面を見失わないための作業であると同時に、私たちが、今、どのような仮面を強いられているのかを自覚するための作業でもあるはずだ。

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