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過去の失敗を「我事」とする

 実際、この「日本近代史のアポリア」を考慮に入れない限り、「大東亜戦争」開戦時に共有された、文学者たちの快哉の叫びを理解することはできまい。日本共産党から日本浪曼派へと「転向」した経歴を持つ林房雄の喜びは言うまでもないが、戦前に「中国文学研究会」を設立し、戦後には毛沢東主義に傾いていった竹内好でさえ、「大東亜戦争」開戦時には「歴史は作られた。世界は一夜にして変貌した」と書いたのだし、その他、ロダンに学んだ高村光太郎、先鋭的マルクス主義者だった青野季吉、そしてフランス象徴主義の影響下に出発した河上徹太郎までが揃ってあの対英米戦争に対する「感動」を吐露していたのだった。おそらく、その現実がいかに矛盾に満ちたものだったのだとしても、「大東亜戦争」開戦の報に接した文学者たちは、これまでの近代化(帝国主義化の仮面)によって見失いかけていた自分達の素面が、実は「攘夷」にこそあったのだということに改めて気づいたのであり、その驚きと興奮を口にせざるをえなかったのだろう。

 しかし、だとすれば、日清、日露は肯定するが、大東亜戦争は否定するといったような議論がナンセンスであることは明らかだろう。既述したように、近代日本は日清戦争から大東亜戦争までの歴史を、一つの“切りのない”“運命”として生きたのであり、そうである以上、大東亜戦争が「罪」ならば、日清・日露も「罪」であり、果ては日本近代史そのものをも「罪」とせねば収まりがつくまい。しかし、それは同時に、日本という小さな島国が、西欧近代という途方もなく大きな力に直面せねばならなかった宿命それ自体を否定することであり、それこそ切りのない自己欺瞞への道を開くだけである。では、あの「失敗」した戦争に対して、単なる自己弁護と、単なる自己否定を超えて、私たちにはどのような態度が残されているのか。そう問うたとき、たとえば私は、戦後四年を経て表明された小林秀雄の次のような言葉を思い出す。

〈宮本武蔵の独行道のなかの一条に「我事に於て後悔せず」といふ言葉がある。(中略)今日の言葉で申せば、自己批判だとか自己精算だとかいふものは、皆嘘の皮であると、武蔵は言つてゐるのだ。そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、さういふ小賢しい方法は、寧ろ自己欺瞞に導かれる道だと言へよう、さういふ意味合いがあると私は思ふ。昨日の事を後悔したければ、後悔するがよい、いづれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやつてくるだらう。(中略)別な道が屹度あるのだ、自分といふ本体に出会ふ道があるのだ、後悔などといふお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、さういふ確信を武蔵は語つてゐるのである。それは、今日まで自分が生きて来たことについて、その掛け替へのない命の持続感といふものを持て、といふ事になるでせう〉(「私の人生観」昭和二十四年十月)

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 ここで注意しておきたいのは、この小林の「掛け替へのない命の持続感」が、ほかならぬ「大東亜戦争」のなかで育て上げられていたという事実である。「東亜共同体論」の空想性に対しては常に批判的だった小林秀雄は、しかし、黙って事変に処した「国民の智慧」だけは信じ続けたのだった。それは言ってみれば、「大東亜共栄圏」の理屈は信じなくとも、その理屈を必要としてしまった日本の宿命だけは「我事」として引き受け続けたということである。そして、この態度は、そのまま戦後直後の小林の発言、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(『近代文学』昭和二十一年二月号、座談会にて)という言葉へと一直線に繋がっている。

 なるほど「自己批判」や「自己精算」というのは聞こえがいい。が、その果てに私たちは、「いづれ今日の事を後悔しなければならぬ明日」を迎えてしまうだけなのだ。とすれば、やはり、あの「失敗」をまずは抱きしめる必要があるのだろう。それ以外に、私たちが私たち自身の自己喪失(取り替え可能性)を回避する道はないのだ。

 小林秀雄は、敗戦直後に改めて書き直したドストエフスキー論のなかで、「悔恨」できないラスコオリニコフの心中を次のように描いていた。

〈何もかも正しかつたと彼は考へる。何も彼も正しかつた事が、どうしてこんなに悩ましく苦しい事なのだらうか〉(「『罪と罰』についてII」昭和二十三年十一月)

 小林が描くラスコオリニコフと共に、この「悩ましく苦しい」感覚を今度こそ手放してはならない。なぜなら、その感覚だけが、私たち自身の「掛け替へのない命の持続感」を支えているのだから。それは、過去に辻褄を合わせるということではないし、過去に罪をなすりつけるということでもない。過去の「失敗」を「我事」とすることである。

 おそらくその覚悟だけが、「歴史の反省」という言葉に真に見合っている。素面と仮面の矛盾を生きながら、それに耐えられず、ついには「大東亜共栄圏」という空想の中に自己喪失していった歴史の悲しみに学ぶということの本当の意味がそこにある。