昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「あの方は籠池さんのこと、あきれてたよ」

 外界から遮断された空間のなかで、毎日検事さんだけと話をしていて、外部の人たちの名前を片っ端から挙げられ、

「あの方は籠池さんのこと、あきれてたよ」

「裏切られたと苦々しく言ってました」

 などと述べ立てられる。孤独感がいや増してくる。

 そのうち、ふと自分が間違っているのではないかという錯覚に陥る瞬間がある。少しでも緊張感が途切れると、流されてみずからの意思とはまったく違ったことを話してしまいそうになる。

 ボクの場合、とくに塚本幼稚園の民事再生について懐疑的なことを言われることが辛かった。

人と人を分断して不安に陥れる「人質司法」

「きれいさっぱり話して一からスタートしないと娘さんたちに迷惑が掛かるよ」

 と言われると、娘たち本人に聞くこともできないため、そうかなと思ってしまう。人と人を分断して不安に陥れたうえで、自分たちに有利な供述を得ようする。

「人質司法」と言われる日本の刑事司法制度のゆがみ。身を以て体験したのだった。ひたすら自白を強要するような捜査手法を続ける限り、村木厚子さんのような冤罪被害者は永遠になくならないだろう。

写真はイメージです ©iStock.com

 最大の問題は、黙秘を貫くと勾留が長くなってしまうことである。

 堀木検事は取り調べでもそうほのめかしていた。

 40日間の事情聴取で、憲法で認められた黙秘権を行使し続けたところ、検察はボクたち夫婦を徹底的に拘置所へ留め置いた。

勾留期限が来るたびに延長の通知が届く

 17年11月に一度、保釈請求をしたものの、あえなく却下。理由は「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある」というもの。接見禁止措置もずっと続いた。家族との手紙のやりとりすら一切、禁止されていたことは辛かった。

 勾留期限が来るたびに延長の通知が独房内に届く。これもまた気を滅入らせるものだった。

 ボクは拘置所内で特捜部に関する書籍を読み漁った。そのなかで、腑に落ちる一文が目にとまる。

「否認事件では、身柄の拘束を継続して『人質司法』のプレッシャーで公判を有利に進めようとする検察官が、弁護人の請求に対して詳細に反対意見を書いてくる」

 そして、その5ページ後には、

「裁判官は、検察への釈放嘆願の『取次窓口』」

 と書かれていた。