1939年に制定された映画法と東京日日新聞
朝日、読売とも、神武天皇が即位したとされる「佳節」を、「一女優」の歌謡ショーで騒ぐ群衆に汚されたというニュアンス。これに対して東京日日の報道は少し違っていた。
5面を覆った紀元節奉祝記事の左下隅に「沸く“南方”への関心」という見出し。「日本劇場では11日から、本社映画部製作『蘭印探訪記』と日満親善のため歌の使節として来日した李香蘭の実演があるというので、人気は頂点に達し……」。つまり、李香蘭の実演より、併映の東京日日・大阪毎日映画部の記録映画の方に報道の重点を置いていた。
それには1939年に施行された映画法が関係している。長編劇映画と短編記録映画の上映を義務づけた法律だ。この時の日劇も、李香蘭ショーに加えて、封切上映の東宝映画「島は夕やけ」(小田基義監督、中村メイコら主演)と、「百の紹介書にまさる蘭印記録映画」がキャッチフレーズの「蘭印探訪記」の3本立て興行。それでも記事は最後に「中には自制のない群衆も交ってわれ先に入場を争って大混乱となり」「日劇開設以来の人出記録を作った」と書いている。
2月13日付(実際は12日)夕刊では、読売が12日も大群衆が劇場前に詰め掛け、またも丸の内署長が「護国の英雄にすまぬとは思わぬか。これで恥ずかしいとは思わぬか」と“演説”したとの「泣いて署長の街頭説法」(見出し)を報じた。朝日は「観客の狂態をかう(こう)観る」の見出しで識者ら4人の意見を掲載。前年1940年10月に発足した官製の国民統合組織「大政翼賛会」の国民生活指導部長は「あの風景を見て情けないと思った。第一にあの無秩序ぶりだ」「国民的訓練の欠如」と嘆いた。作家の野上彌生子は「どんな非常時でも娯楽を奪うということはいけない」と述べた。
一貫して「日劇事件」に批判的な報道を続ける朝日新聞
同じ紙面の1面には「万が一、太平洋で(日米)戦争が起こっても、対英援助は少しも変わらない」というルーズベルト・アメリカ大統領の談話が載っている。当時の新聞には、中国戦線の戦況報告から、国内のアメリカンスクール閉鎖のニュース、「日米もし戦はゞ(わば)!」という企画記事、「防空読本」の連載などが掲載され、既に太平洋戦争を先取りした「臨戦態勢」に入っていた。そんな中での「日劇事件」に論調は厳しかった。
朝日はこの後も一貫して群衆に批判的な報道を続ける。
2月14日付朝刊の社説では「無秩序と狼藉ぶりは軽視できぬ」と非難。「事変下娯楽政策の欠陥と社会生活の病患部を暗示する一宿図たるの観あり。官民ともに反省すべきを痛感する」と主張した。15日付朝刊では「過日、丸の内の某劇場前で狂態を演じた観客のうち、半ばは中学生服で占められ」、その後の制服の群衆の調査で、昼間制の中学生などは1割に満たず、3割が夜間中学生、4割が各種学校の生徒と分かったと報じた。
18日付夕刊では「佳節を汚した同僚に泣く 当局へ悲憤投書の山」の見出しで「産業報国に邁進しているわれわれの仲間から、かかる不心得者を出したことは、何としても申し訳ありません」などの投書を紹介。18日付朝刊でも「娯楽の反省」として批判、擁護入り交じったさまざまな投書の内容を掲載した。読売も16日付朝刊で事件についての読者の感想を載せている。