「李香蘭、山口淑子、シャーリー・ヤマグチ、大鷹淑子」……。いくつもの名前を持つ女性についての記憶と感想は年代によって異なる。フジテレビ「3時のあなた」の司会や参院議員としての活躍を覚えている人もいるだろう。筆者にとっての最初の記憶は、恥ずかしながら「白夫人の妖恋」(豊田四郎監督)という映画の予告編だった。

 1956年6月公開だから、筆者は小学3年生。ほかの作品を目当てに映画館に行って見たが、妖艶というのともちょっと違う、他の日本人女優にはない強烈な女性的魅力と濃厚なエキゾチシズムに「これは見てはいけない世界だ」と感じた。その時は「山口淑子」になっていたが、彼女は戦前戦中、日本と「満州」、中国の間を華麗に舞い泳いだ、希代の女優・歌手「李香蘭」。

李香蘭 ©共同通信社

 その人気のピークを示したのが、いまも「日劇七回り半事件」と言い伝えられる出来事だ。

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 1941年2月11日、東京・有楽町の日本劇場(日劇)で行われた「歌ふ(う)李香蘭」と題された実演の歌謡ショー。10万人ともいわれる群衆が劇場を取り巻いた挙げ句、切符を求めて押し寄せ混乱。多くの警官が出動して制圧する騒ぎとなった。

「七回り半」という表現は当時の新聞には見えない。そもそも正確に数えた人間がいたのかどうか……。後になって誰かが書いたのが、語呂がいいことから一人歩きしたのかもしれない。時は太平洋戦争が始まる約10カ月前の「紀元節」。李香蘭とはどんな存在で、事件はどんな意味を持っていたのだろう。

「佳節を汚した 観客の狂態 堪りかねて署長大喝」

「紀元の佳節 きのふ宮中の御祭儀」(東京朝日)、「碧空に、陸に、海に、慶祝の大行進 帝都彩る赤誠の催し」(東京日日)、「陸海空に奉祝行進 時艱(当面する難問)粉砕の熱誠 『悠久日本』を寿ぐ帝都」(読売)。1941年2月12日の朝刊は1面トップ(読売は1面写真4枚で記事は7面)などで、前日2月11日の「紀元節」に、「赤子」(君主である天皇から見た国民)の大群衆が皇居に集まって建国祭を祝う模様を報じた。

 事件については朝日が3面で「佳節を汚した 観客の狂態 堪りかねて署長大喝」という記事を載せているが、これが少々ヘンな書き出しだ。

「日劇七回り半事件」東京朝日の初報

「11日紀元節の朝、帝都丸の内の某映画劇場の前で演ぜられた観衆の雑踏と混乱、今なお改まっておらぬ一部市民の国民道徳の薄っぺらさ、規律の弱さ、その欠陥をマザマザと見せつけられたこの一事は遺憾であった。それを筆にすることは物悲しいが、こんな混雑はもうこれでおしまいにという意味で読んでください」。写真も載せているが、劇場がどこか、イベントが何かを書いていない。