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「李香蘭は日本娘」と出自を報道

 そんな中で、文化、芸能記事に定評があった都新聞(東京新聞の前身の1つ)が李香蘭の出自について“特ダネ”を打ったというのが定説。確かに2月15日付夕刊2段で「李香蘭は日本娘」の見出しの記事を載せている。丸の内署が調べたところ、李香蘭は映画や実演に必要な「技芸証」を持っておらず、申請を出させた結果「本名山口俊子(22)本籍佐賀県杵島」と書かれていたという(「俊子」は誤り)。

「李香蘭は日本娘」と報じた都新聞

 ところが、調べてみると、東京日日も同じ2月15日付夕刊にベタ(1段)記事だが、ほぼ同じ内容で「李香蘭叱らる 本をたゞ(だ)せば日本人」と報じていた。見出しで都新聞が“抜いた”印象になったのか。同紙はその後も16日付朝刊で「国際女優李香蘭が人気者になるまで 今後の彼女はどうなる」、17日付朝刊では「事実は小説より奇! 李香蘭の数奇な生ひ立(生い立ち)」と続報を掲載。しかし「大陸を転々・三度父を変える」などと、事実とはいえない内容もあった。

スター女優になるまでの「李香蘭」

 いまでは知られている通り、李香蘭は本名・山口淑子。父は佐賀県、母は福岡県出身で1920年2月生まれの日本人だった。山口淑子・藤原作弥「李香蘭 私の半生」によれば、父が「南満州鉄道(満鉄)」勤務だったことから「満州」(現中国東北部)の奉天(現瀋陽)近郊で生まれ、撫順で育った。父は中国語に堪能で中国人の友人も多く、中国の風習で実業家2人と義兄弟に。淑子は名目上2人の養女となり、中国名をもらった。「李香蘭」はその1つ。中国語は父からたたき込まれた。

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李香蘭(左) ©文藝春秋

 肺の病気にかかったことから健康法で声楽を学び、奉天の放送局に専属歌手として採用された。スターへの道の始まりだった。日本軍将校らの斡旋もあって1938年、「満州映画協会(満映)」の女優に。5本の映画に出演後、実質東宝製作の「大陸3部作」で大スター長谷川一夫と共演。これが人気に火をつける。