本作は掌編集で、一つ一つの話は短いが、重力の違う星の小石のように、ずしんとくる重さのエネルギーが詰まっている。すぐ本題に行き着く敏捷さは、老いなどまるで感じさせない。人の感情の激しさ、鋭い感性はときに、年月とともに風化せず、クリアな形のまま輝き続けることもできるのだと知る。

 求愛、愛を渇望するとき、人は正常な時の流れを失う。時空が歪む。夫の葬式に姿を見せなかった愛人に向けて、妻が感謝の手紙を書く話がある。夫は彼女を呼んでくれと頼んだが、応えてやれなかった罪悪感も綴る。不倫されていた妻も気の毒だけど、一体愛人の方の人生はどんなだったんだろうと思うと苦しくなった。光陰矢のごとしをことごとく実感できるのは、求愛してるときじゃないだろうか。

 夫婦関係になれば求愛は一応ゴールにたどり着くが、愛人関係だと果てなく満ちたりなさが続く。相手の死期にも立ち会えないまま、なんの区切りもなく、求愛は終わらずにさらに引き延ばされる。相手もいないまま。きつそうな人生に思えるが、きつい分、愛が鮮烈に輝く一瞬が、閃光の筋になって記憶に刻まれ、いつまでも忘れられないだろう。

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 求愛のために子を捨てた親の話も出てくる。寂聴さんの個人の歴史は有名で、読んでいてついオーバーラップさせてしまうのだが、捨てられた子が親を欲する痛切な気持ちの描写は、このような想像力を持ちながら歩まれる人生は厳しいものだったろうなと感じた。

 子どもだって求愛する。なにか欠けていると気づきながら進む日常は、何気ない、ささやかな場面でこそ心の影を濃くする。両親に捨てられて、祖父母の元で暮らす男の子が、大人の誤解を受ける話がある。

 違う、ぼくの気持ちを誰も分かってくれない。ぼくのほんとのパパって、今、どこにどうしているのだろう、と彼は思う。たとえば実際にパパがその場にいたとしても、彼の細かい心情を親が理解してくれるとは限らない。日常的な場面に出くわす度に、もし存在してくれたら、と恋しい人を思い浮かべるのって、淋しさの一番素朴な表れ方だ。

 携帯のメールやラインを使った話も登場する。平安時代は短歌が上手な人がモテたのと同じように、現代の恋愛ではメールは必須条件のようだ。静かな電車内で喋るのが憚られて、並んで座ったままメールで愛を伝え合うカップルの話が、情緒があって素敵だった。果てのない求愛のさなかで、ささやかな記録をメールに残して、気軽にふり返ることができるのは、現代ならではの喜びかもしれない。

せとうちじゃくちょう/1922年徳島県生まれ。63年『夏の終り』で女流文学賞受賞。73年、得度し法名「寂聴」とする。92年『花に問え』で谷崎潤一郎賞受賞。98年には『源氏物語』現代語訳を完成させる。2006年、文化勲章受章。『花芯』など著書多数。

わたやりさ/1984年京都府生まれ。『蹴りたい背中』で芥川賞、『かわいそうだね?』で大江健三郎賞を受賞。著書に『憤死』など。

求愛

瀬戸内 寂聴(著)

集英社
2016年5月2日 発売

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