<日本の山には何かがいる。
生物なのか非生物なのか、
個体なのか気体なのか、
見えるのか見えないのか>
こんな前書きではじまるのが、累計20万部を超える『山怪』シリーズの実話集『山怪 山人が語る不思議な話』(田中康弘著、山と溪谷社)を原作とした漫画『山怪 壱 阿仁マタギの山』(原作・田中康弘、漫画・五十嵐晃、リイド社)だ。
世の“怪談”には多分に脚色があり、オチもある。しかしここで描かれているのは、“伝説の猟師たち”が山へ入り、遭遇した現実の“怪異体験”である。それは原因不明であり、オチもない。
異色であるのは、水墨画で描かれたこと。墨の濃淡と線の強弱だけで描かれた絵は、独特の味わいがある。
熊を追い上げる「巻き狩り」中に記憶を失う
納められている17の怪異体験のうち、1つが「辿り着かない道」。
ある年の冬、ベテラン猟師たちが深い山の奥に熊猟に出た。「巻き狩り」と呼ばれるもので、勢子(追い手)が声枯れるまで叫びながら熊を追い上げ、追われて山を登ってくる熊を、上で待ち構えている撃ち手が仕留めるものだ。
この時、仲間の1人が無線に応答しなくなり、行方が分からなくなった。
捜索も叶わず、他のマタギがあきらめて山を下りた頃、消えた猟師は持ち場から4キロも5キロも離れた場所をさまよい、偶然、山林工事の作業員に声をかけられて我に返っていた。本人は、持ち場に向かったが、途中からどこを歩いていたのか記憶がないという。
この現象は集団でも起きる。
別の冬、6人の猟師が一列になって猟場に向かったが、雪の中を歩いても歩いても猟場に着かなかった。次第に恐怖が募りはじめた6人は、口々に呪文を唱えながら引き返し、長い時間をかけて無事に下山できた。後の検証によって、間違えるはずの無い道を間違えていたことが分かった。誰も気付かなかったという。