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むしろそんなに少ないわけがない

「中高年のひきこもりは、世間で思われているような特殊な存在ではない。『ひきこもり』という言葉ができて20年ほどたっているし、当時からひきこもり続けている人たちだっているんだから、そのくらいの数がいてもまったく不思議じゃない。

 意外だったのは、これまでちゃんと仕事をしていて、そこそこの年齢からひきこもった人が結構いることでした。職場でのパワハラなどで会社を辞めてしまって、ひきこもった人が多いと思うんですが、自分はそれを『ひきこもり』には含まないと思っていたもので。でも、それらを含めると、中高年ひきこもりが61万人という数字になるのは当然ですよね。どこまでを『ひきこもり』に含めるかによって、数字は大きく変わってくるし、100万人を超えても驚きません」

 大川さんを含めてほかのインタビュー対象者が「40歳以上65歳未満の中高年ひきこもりは約61万人」という数字を受けて、「そんなに少ないわけがない」「100万人を超えていても不思議ではない」と語っていた。

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 彼らにすれば、ひきこもらないほうが不思議なほど、社会の生活環境が悪化しているということだ。なかには「死なないだけでも立派」「生きているだけでも苦しいのだから」と語る当事者もいて、今後もひきこもりは増えることが当然だと語る。

 社会をつぶさに見ている彼らの声を活かすのか、それとも無視するのか、私たちは岐路に立たされているのではないだろうか。

「ひきこもり=怠け者」というレッテル

©iStock.com

「それまで働いてきて、中高年になってひきこもった人たちは、つらいことがあったんだろうなと思います。

 ただ、個人的には自分自身は怠け者だと思ってます。働くの嫌いですし。あまり、『ひきこもりは怠け者じゃない!』って強調されると、『いや、自分は怠け者だしなぁ』っていう気持ちになります。そんなに言うほど、ひきこもり当事者はみんな頑張っている人たちなのかな?とも思います。単に、緩く生きたい人たちが増えている、ということなんじゃないですか」

 インタビューでは本音が出にくいものだが、大川さんらしい回答である。ひきこもり当事者が自分のことを怠け者、働くことが嫌いだと語っている。「ひきこもりは働きたくて努力し、抜け出したくても抜け出せずに苦しい状態である」という見方は一面的だということだ。

 そのような体裁を社会に対して繕わなければ排斥されてしまうのではないか、という恐れから、世間の顔色を窺うように正解を探って回答を導き出す。だが、その正解は本人にとってのものではなく、社会にとってのものである。実はここにひきこもり対策の難しさがある。

 日本社会は働くこと、経済的自立に非常に高い価値を置く。だから、ひきこもりに対する政策や施策もよりよく働かせる就労支援が主体である。労働市場に押し出していくこととも言い換えられる。

 それは本当に当事者が必要としている支援なのだろうか。本当に当事者が求めていることは「生」そのものをありのまま無条件で受け入れる支援ではないだろうか。

 ひきこもり当事者に限らず、働かなくても暮らせたらいい、お金がたくさんあれば働かない、というような願望に近いものを我々も感じることがある。

 お金があるうちは、苦しい労働環境に身を置きたくないというのは本音として誰でも思うことだ。「緩く生きたい人たちが増えている」ということは緩く生きられない社会への問題提起、異議申し立てとして有効である。彼らの「生」をどのようにして、ありのままに保障するのか、緩くない社会の側が解を出さなければいけないのではないだろうか。

 働かなければ生きていけない社会というのは生きにくい、と本質的な問いを私たちに投げかけてくれているように思う。