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 最初に訪れたのは、山形地区に隣接し、やはり日本短角種の産地となっている岩泉町だ。「高原の放牧場に行きました。草しか食べていないのに、ピッカピカな体をしていて、まるで宝石のようでした。いつか日本短角種を育てたいと思いました」。岩泉町に通うようになった。

 そうした時に山形地区で新しい餌を模索していると聞いた。葉阪さんは自分で企画し、ビール粕を原料にして日本短角種専用の餌を作った。これを用いて産地に新しい風を吹かせたいと、定年を心待ちにして就農したのだった。

「はい、どうぞ」。べご汁を差し出す葉阪裕子さん

「人間が食べられないものを食べさせて、人が食べる肉にするのが本来の牛の姿です。ビール粕は、アルコール発酵させるために糖分を抜いた大麦だから、牛が一番ほしい繊維とタンパク質でできています」と力説する。

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霜降り一辺倒だった牛肉の価値観が変わり始めた

 実は、葉阪さんも日本短角種の今後に不安を持っている一人だ。現在の赤身肉ブームが逆に危機につながりかねないと心配している。

「過去に大手企業が目を付けて、子牛を大量に市場で買い、黒毛和種の肥育経験しかない畜産農家に飼わせたことがありました。黒毛和種はどれだけサシを入れるかが勝負です。同じような飼い方をしたら、ろくな赤身肉にはなりません。そうした牛が増えると、日本短角種の評判が落ちてしまいます。全国に7000頭ぐらいしかいない牛なので、ちょっと問題が起きたら絶滅危惧種になってしまいます。そうさせないためには、山形地区で牛も農家も増やしていかなければなりません。私もその一翼を担いたい」と意気込んでいる。牛は就農1年間で22頭に増やした。

どんな草でもきれいに食べる

 葉阪さんは、日本短角種の「命」としての強さに、未来があるのではないかと考えている。

「神経質な黒毛和種は、放牧しても草のいいところしか食べません。しかし、日本短角種はどんな草でもきれいに食べます。全国の公共牧場では放牧する農家が減って、どんどん荒れています。そうした牧場の維持策だけでなく、里山の再生にも使えるのではないでしょうか」と提案する。

 霜降り一辺倒だった牛肉の価値観が変わり、自然や健康といったキーワードが重視されるようになり始めた。その最先端にいる日本短角種はどのような将来を切り開けるのだろうか。

 山形地区では、チャレンジ精神旺盛な農家が模索を始めている。

写真=葉上太郎