なぜ説明に松永が一切登場しなかったのか
このように、搾取された金額や緒方の偽名が違うことに加え、記者会見以前の説明には「田代博幸」こと松永が一切登場していない。なぜ発言内容が変遷したのか。その理由について、旧知の元福岡県警担当記者は、当時の彼女が抱えていた事情を明かす。
「真由美さんは当初、人に聞かれた場合はこう話すようにと、松永から言い含められていた通りの、虚偽の説明をしていました。それくらい、松永の作ったストーリーに従って動いていたということです」
真由美さんと知り合って間もなくの頃、「田代」を名乗る松永は、自分は東大理科3類にトップで入学した外科医であり、探偵もしていると自己紹介している。真由美さんと会った際には、白衣や聴診器を持っている姿を見せ、携帯電話に連絡があると、「××という薬を×グラム投与しろ」などと指示を出し、彼女には「今日手術した患者について、看護婦から連絡があった」と伝えるなどしていた。「田代」は勤務先の病院については明らかにしなかったそうだが、手術のために大阪市や福岡市に行ったと口にしている。
カネだけを奪われたのは幸い
また松永と緒方は、支配下に置いていた広田清美さんを真由美さんに会わせていた。その際に清美さんについて「探偵事務所のボスの娘」と紹介。まだ中学生だが探偵の修行中だと説明している。さらに、彼女の父で「キタさん」と呼ばれるボスについては、末期の肝臓がんで「田代」の手術を受けており、「抗がん剤を打っておいたから、しばらくは大丈夫だろう」と話している。
ふたりから「ナッちゃん」と呼ばれていた清美さんの役割は、主に真由美さんの見張りや付き添いで、真由美さんが金策のために北九州市内の質店に行ったときには、一緒についてきた少女が熱心にメモを取る姿を店主が目撃している。
なぜ真由美さんが、消費者金融から借金をしたり、所持品を入質してまでカネを作り、松永と緒方に渡していたのか。その理由はひとえに、医師を装う「田代」こと松永の甘言に乗せられて家を出てしまい、頼れる者が彼らしかいなかったこと。そして、やがて彼と一緒になり、自分が医師の妻になれると信じていたからにほかならなかったからだ。
だが彼女の場合、失ったものがカネだけで、命まで取られなかった分だけ、幸いだったといえるかもしれない。なにしろ、真由美さんが家を出た00年8月の段階で、松永と緒方はすでに7人の命を奪っており、被害者の痕跡は、この世から影も形も消えてなくなっていたのである