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自分から家を出る決意をして……

 真由美さん曰く、聞き上手な「野上」は、彼女の相談に乗ってくれ、以来、頻繁に自宅に電話がかかってくるようになった。その後、自分から家を出る決意をして、「野上」に少しずつ荷物を預けるようになり、00年の夏の終わりに双子を連れて佐賀市の家を出た。まずは小倉のラブホテルで2、3泊して、続いて小倉北区板櫃の『板櫃マンション』(仮名)に住むようになったと説明していたのである。

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 この板櫃マンションの賃貸契約については、私自身もウラを取っていた。契約者名は「田岡真由美」であり、10×号室を2000年8月30日から翌01年3月27日まで借りていたことは記録に残っており、間違いない。

 逃亡生活で所持金が減った真由美さんは、求人誌を見て01年4月から山口県徳山市の飲食店従業員として働きながら、子連れで寮生活を送り始める。その際、引っ越しの手配などは「野上」に手伝ってもらったとのことで、彼女に頼った理由については、次のように話す。

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「引っ越しは自分ひとりじゃできないし、誰も頼る人がいなくて相談相手がほかにいなかったからなんでしょうね。彼女はてきぱきしてましたよ」

「それはきっとダンナよ。ここも危ないね」

 やがて、子供の託児所に男の声で、「双子の男の子はいませんか」と電話での問い合わせが入り、真由美さんは電話の主が夫ではないかとの疑念を抱く。そのことを「野上」に相談すると、「それはきっとダンナよ。ここも危ないね」とアドバイスされた。そして「短期間なら預かるよ」と言われ、子供たちを預けることにしたのだった。

 その際に使用された泉台マンション10×号室も「田岡真由美」の名で借りられており、賃貸の開始は01年8月7日である。

※画像はイメージです ©iStock.com

 また、金銭的なことについては、子供たちの養育費として、「野上」に毎月15万~20万円を渡していたというのが、記者会見よりも前の取材における説明だった。だが、記者会見での彼女は、家出するための費用や養育費として、00年から02年にかけて、親の遺産2000万円に加え、複数の消費者金融でカネを借りて、「岡山ミチヨ」こと緒方に「2500万円を支払った」と明かしている。