探偵事務所の所員として知り合った
私自身は真由美さんの会見には出席していないため、その内容については新聞記事でしか知ることができないが、その場で彼女は、松永や緒方とは14年前(1988年)に人探しを依頼した探偵事務所の所員として知り合ったと説明している。そこで松永は「田代博幸」との偽名を名乗っており、緒方は「岡山ミチヨ(漢字不明)」と紹介されていた。この時期に真由美さんは佐賀県佐賀市に住んでおり、探偵事務所は佐賀市内の電話番号だったが、松永と緒方は佐賀市ではなく、福岡県柳川市に居住していた。
じつは、この会見での真由美さんの証言には、若干の記憶違いがあったことが後に判明する。松永が電話帳に探偵事務所の広告を出したのは89年のこと。その広告には佐賀市、久留米市、福岡市の3つの電話番号が記載されていたが、事務所などの実体はなく、いずれの電話番号も松永が経営に関わり倒産させた、柳川市のインテリア会社に転送されるようになっていた。そのため真由美さんが電話をかけたのは88年ではなく、89年か90年だと推測される。
この架空の探偵事務所の広告は、結婚詐欺などの標的を探すために掲載されたと見られており、当然ながら探偵業者で作る団体には登録されていなかった。また、93年1月に月額約8万円の広告料金が滞納されたことにより、広告契約は解除されている。
スナックで声をかけてきた緒方
会見での話に戻るが、真由美さんによれば、その「田代」から約6年前(96年)にふたたび連絡があり、夫婦仲が悪くなっていた彼女は、しばしば電話で「田代」に相談するようになったという。そこで彼から「子供を連れて一緒に逃げてくれ」と持ちかけられ、2000年8月に家を出たとの説明がなされている。なお、この会見時には知る由もなかったが、同時期の松永は、緒方とともに福岡県北九州市に居住しており、同年2月に広田由紀夫さんが死亡している。
ちなみに、この会見での真由美さんによる松永、緒方との出会いについての説明は、それ以前に彼女が取材を受けた際、記者たちに話していたものとは大きく異なっていた。
当初、彼女は00年の夏前から、夫との不仲で家を出たいと考えていたと説明。その際に子連れでもできる仕事といえば、「水商売、ホステスかな」と思い、「いきなり雇ってくれというより、お客さんとしてまず店に入って、そこから話の流れで働きたいと切り出せばいいのでは」と、小倉駅(北九州市)の近くにあるスナックに行ったと話していた。そしてカウンターでジュースを飲んでいた彼女に、背後から「こんばんは。こんなところでひとりで飲んでるの?」と声をかけてきた女性が、「野上恵子」を名乗る緒方だったというものだ。
その発言を受けて、記者からスナックの具体的な場所を問われると、「私、方向音痴なんですよ」と、以前ははぐらかしていた。