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特集観る将棋、読む将棋

2020/03/07

「余ってるお弁当をもらってもいいよね」

 それにしても竜王と名人の大二冠を持つ第一人者が、こんなに素朴で飾らない人柄であるのは不思議……と書こうとして手が止まった。よく考えたら将棋界のトップ棋士はそういう人たちばかりだった。

 夕食休憩後は各対局の流れが速くなり、まもなく▲三浦弘行九段-△渡辺明三冠戦が終了。勝った渡辺三冠は史上4人目のA級全勝で、初の名人挑戦に華を添えた。

 感想戦を終えて控え室に来た渡辺三冠は「夕食の注文をしなかったからお腹が減った。ねえ、下の階に置いてあった余ってるお弁当をもらってもいいよね」と言い、すぐに調達して戻ってきた。これで彼も、同じ釜の飯ならぬ弁当を食べた仲間である。

名人挑戦を決めている渡辺明三冠は、王将戦・棋王戦のダブルタイトル戦の真っ最中でもある ©共同通信社

 以降は自分が担当する佐藤天-稲葉戦も激しくなり、対局室と控え室を行き来していたため、観察どころではなくなった。出たり入ったりするうちに一局、また一局と終わっていき、最終的には降級のピンチを迎えていた佐藤天九段、糸谷八段、木村王位はみんな勝った。それぞれ持ち味の出たよい将棋だったが、9回戦総当りで戦ってきた結果として、順位の差で木村王位の降級が決まった。

 最後に残った▲佐藤康光九段-△羽生善治九段戦は詰むや詰まざるやの終盤戦になっていた。検討陣は熱っぽくモニターと継ぎ盤を交互に見ている。

 どうやら羽生九段が詰みを逃したらしく、午前1時14分に佐藤康九段の勝利となった。通常より1時間早い午前9時開始だったから、文字通りの「長い日」になった。

2月28日、金曜日。

 浮月楼から一人、静岡駅に向かった。昨年はいろいろな縁が重なって対局翌日もずいぶん長居してしまったが、今年は特になにもなく、すんなりと東京に戻ることになりそうだ。

 新幹線に乗り込み、滞在中には読む暇がなかった文庫本を取り出したとき、後方から不意に「昨日のあれ、詰んでないでしょ?」と、やけにハキハキした口調で声をかけられた。

 振り返らなくても声でわかる。鈴木大介九段だ。何を言っているかはすぐにピンと来た。

鈴木大介九段 ©文藝春秋

「佐藤-羽生戦の最後、△2八銀と打って詰みとなっていた変化ですよね?」

「うん、あれからずっと考えてたんだ。上に追っていって、逆王手があって打ち歩の筋になって……」

 正直に言えば局面の細かいところまでは急には浮かばず、生返事になってしまった。それよりも棋士の棋士らしい、いや将棋指しとしか言いようがない純朴な眼差しが、うれしくてしょうがなかった。

 鈴木九段はあとから乗り込んできた朝日新聞の村瀬記者にも、同じことをしていた。きっと村瀬さんもうれしかったんじゃないだろうか。

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