拙著最新刊『時代劇入門』は初心者に時代劇を気軽に楽しんでもらうために書いた一冊だ。その中で、「そもそも時代劇とは何か」という話に結構な文字数を割いている。
というのも――詳しい定義は本を読んでいただくとして――「あれも時代劇なんですかね?」という質問を受けることが多々あるからだ。その中で現代から過去へのタイムスリップものと並んで、そうした質問をされやすいジャンルが、人情噺だ。
おそらく、「時代劇」というと「最終的には刀で戦って解決」が定番だと思っている人も少なくないのだろう。そういう人からすればチャンバラのない人情噺は、「時代劇ではないのかも」となってしまう。
が、チャンバラの有無は時代劇の成立要件に全く関係ない。人情噺も、立派な時代劇。
そのことは同時に、時代劇=チャンバラという先入観のために「血生臭い」「暴力的」と苦手意識を抱いている人がいた場合、人情噺は時代劇への入口になるともいえる。
今回取り上げる『冷飯とおさんとちゃん』は、その最たるものだ。
原作は山本周五郎。刀によらない物事の解決を描き続けてきた作家だ。そんなヒューマニストの作品「冷飯」「おさん」「ちゃん」三本がオムニバス形式で綴られている。三本ともに主演は中村錦之助、監督は田坂具隆が務める。
描かれるのは、三様の情。
身分違いの恋に悩む若侍がひょんなことから出世をし、想いが成就するまでを描く一本目の「冷飯」。自分の作る火鉢が売れずに苦しむ職人が、貧しいながらも家族や周囲に支えられながら我が道を進もうとする「ちゃん」。いずれも、仕事熱心で一途な男が苦労しつつも報われていく様に、心温まるものがある。
ただ、周五郎の世界はハートウォーミングなだけではない。時には、理不尽に苛まれる情も描かれる。ほのぼのとした二本に挟まれた「おさん」も、そんな作品である。
大工の参太(錦之助)は好き合って一緒になった妻(三田佳子)の、夜の淫らさを受け止めきれずに江戸を出奔。旅先で知り合った宿の女中(新珠三千代)に惚れられるも、心を開くことができない。そして、妻が男から男を渡り歩きながら悲惨な境遇に陥っていることを知る。
妻への愛憎と罪の意識に苦しみ、目の前に転がる幸福に浸ることのできない参太の葛藤が、錦之助の暗い影を湛えた芝居によって切なく迫る。
チャンバラなどの活劇シーンは一切ない。人間の心情が、ひたすらじっくりと描かれていく。これも、時代劇。
食わず嫌いせず、その幅広い魅力を楽しんでほしい。