最新刊『時代劇入門』(角川新書)を書きながら、改めて思ったことがある。時代劇初心者に向けて「とりあえず知っておきたいヒーロー・スター30」という項目を設けたのだが、その大半が男性になってしまったのだ。
描かれる舞台が女性の活躍しにくかった時代であるというのもあり、致し方ない——ともいえるのかもしれない。が、だからといって誤解してもらいたくないのは、時代劇が男尊女卑的な価値観で作られているわけでは全くない、ということだ。
女性が「ヒーロー」として活躍する作品も多々あるし、社会における女性たちの生きづらさに目を向ける現代的な視点の作品もかなり前から作られている。その点も、丁寧に書いているつもりでいる。
今回取り上げる『西鶴一代女』もまた、現代にもそのまま通じる、女性のドラマだ。監督=溝口健二、脚本=依田義賢のコンビは、男たちの理不尽な手前勝手に翻弄され苦しみ抜く女性の姿を描き出す。
舞台となるのは、江戸時代の京都。公家の娘であるお春(田中絹代)は、一方的に想いを寄せてきた若党・勝之介(三船敏郎)の情熱にほだされ駆け落ちする。が、二人は捕まり、勝之介は斬首、お春は家族ともども追放となる。
これだけでも十分な悲劇なのだが、これはほんの地獄の入り口に過ぎなかった。
美貌を買われて大名の側室になり跡継ぎを産むも、正室の嫉妬で放逐。父親に遊郭に売られた際は、身請けしたいという商人が贋金作りで捕縛。そして、遊女であったという過去がどこにいってもついて回り、幸せになりかけたところでいつも大きな理不尽が襲い掛かってくる。尼僧になろうとしても、いついかなる時も、男たちはお春が真っ当に生きる上で壁となる。
彼女には何の落ち度もない。たまたま人よりも美貌に優れたために、望まずとも男たちの欲望と女たちの嫉妬の対象となり続け、自分なりの意志をほんの少しばかり抱いていたために疎まれ続ける。
そんな救いのない物語を切り取る溝口演出も凄まじい。決して、ことさらにその悲劇性をドラマチックに盛り上げるようなことはしていない。淡々とした冷たいタッチでお春の転落のドラマは切り取られていく。そのことが、お春を苛む運命の残酷さを、逃れようのないものとしてリアルに際立たせていった。
現代の女性でも、いや、現代の女性だからこそ、お春に次々と降りかかる理不尽に対して身につまされ、感情移入できるのではなかろうか。
時代劇は現代の寓話でもある。そのことを強く教えてくれる作品といえる。