当時の国鉄は赤字で開発予算もなかった
新形式を開発しようにも、当時の国鉄は赤字で開発予算もなく、技術の大きな進展はなかった。また、東海道新幹線は12両編成で運行を開始し、増発用として毎年60~80両が追加され、1969年には16両編成にするため180両が作られるなど、製造年にばらつきが多かった。岡山延伸、博多延伸による新規製造もあり、長きにわたって製造された。ひかり用編成、こだま用編成でグリーン車の数が異なり、ビュッフェと食堂車の変更などで車両の組み替えも発生した。新形式に置き換えるより、同形式の0系の製造を継続したほうが好都合だった。
ただし、0系とはいえ、全く同じ車両ではない。初代0系を置き換えるために1976年から作られた0系は、窓が小さくなり、ブレーキ、制御器などの走行系を変更し、座席指定表示を板から字幕にするなど大幅に改良され、製造番号を1000番台にするなど区別された。1981年から製造された0系はさらに改良され2000番台となっている。
こうして、0系は1985年まで21年にわたって製造された。100系電車は1980年頃から開発を進めて、1985年に量産先行試作車が完成して営業運転が始まった。それでもまだ0系の製造が続けられていた。100系を「ひかり」に充当する一方で、「こだま」の旧0系の引退が進み、0系で補完する必要があった。
引退した700系は新大阪駅で再会できる
100系の誕生後、東海道新幹線は次世代車両の誕生と入れ替わりに旧世代車両が引退していく。路線の延伸もないため、計画的な次世代車両開発と新旧車両の入れ替えができるようになった。700系の運用期間は21年と書いたけれども、数年間にわたって製造されたから、編成単位の運用期間は13~15年だ。
なお、東海道新幹線で引退しても、山陽新幹線では運行継続する形式が多い。300系だけが東海道・山陽新幹線同時引退となったけれども、0系、100系は東海道新幹線で引退した後、山陽新幹線でしばらく走り、そこでもう一度引退セレモニーが行われた。すでに東海道新幹線を去った500系も山陽新幹線で活躍中だ。少し前まではエヴァンゲリオン仕様、現在はハローキティ仕様になって話題となった。
700系も同様で、山陽新幹線ではしばらく運行を継続するという。そして山陽新幹線では700系を使った「ひかりレールスター」という特別仕様車も健在だ。東海道新幹線から引退した700系も、当分の間は新大阪駅で再会できるだろう。