いい指導者について、あえて語るなら
中村 暴力を肯定する監督は、よく「選手になめられるから」と言いますけど、あれも不思議なんですよね。興南の我喜屋優監督は、暴力は絶対反対の立場なんですけど、それでもきちんとチームを統率して、2010年に春夏連覇を達成した。その我喜屋さんは「暴力なしで選手をコントロールするのなんて、簡単だよ」と話していました。「(メンバーから)外せばいいんだから」と。先日亡くなられた野村克也監督もまったく同じことを言ってましたね。「なんで殴る必要あんの? 気に食わないんだったら外せばいいじゃない」と。選手が9人しかいないチームだとできないかもしれませんが。
元永 外されることが選手にとっては、一番つらいですもんね。
中村 元永さんにとって、いい指導者ってどういう人なんですか。
元永 シンプルに、選手を上手くする人。もちろん、上手くなるためには試合に出ないといけないし、そのためにはある程度勝たなきゃいけないでしょうけど、それがかみ合うことで、チーム全体を上手くしてあげられる指導者ですよね。
たとえば、いい選手が山ほど来ているのに、全然上手くならずに卒業していくとなると、いい監督とは言えないなと思う。それは単純な勝ち負けとは別で。毎年たった1校しか優勝はないわけで、当然いつも勝てるわけじゃないんだけど、それでも指導者としては、選手が野球を上手くなるようにしていきましょうよって。
中村 僕もそれに近いのですが、高校卒業後、さらに上のレベルで野球を続ける選手が多いほどいい指導者なんじゃないかなと思います。野球の楽しさを教えてあげた、ということですから。金足農業の指導法は、傍から見たら、必ずしも褒められるものばかりではないと思うんです。でも、準優勝した年のレギュラー9人は全員、上の世界で野球を続けているんです。金足農業は例年、大学などで野球を続ける選手は、いても1人か2人という中で。これは金足農業の指導者の最大の「勝利」だと思います。
野球が好きなままでいさせるのが、監督の大事な仕事
元永 実力の問題でレギュラーになれないのは仕方ないけど、人間関係や監督の指導に合う合わないとかで、野球が嫌いになる子は相当数います。そういうことを避けて、野球がそのまま好きでいてくれればと思いますよね。そうじゃないケースも多いじゃないですか。もう野球は見ませんって人はいるし、野球部時代を思い出したくないから、もう野球とは関わりたくないって人もいるので。野球が好きなままでいさせるのが、監督の大事な仕事。
中村 高校野球の監督は、がんばり過ぎているのだと思います。監督の最大の仕事は、野球の楽しさを教えることでいいと思うんです。あえて、人間教育を掲げなくても、スポーツの中にその要素は含まれていますから。誤解を恐れずにいえば、もっと、無責任でいいと思います。自分でこの選手はどうすることもできないと思ったら、あきらめて、他の先生や親に頼ればいい。「私にはもう無理です」と。自分の能力を超えてがんばっちゃうから、思わず、手を上げてしまう気がしてならないんですよね。一生懸命になり過ぎない。そうすれば、必然的に暴力はなくなる気がしますね。
写真・鈴木七絵/文藝春秋