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涙ながらに思い出を語る実兄
――ひと言いまのお気持ちを。
「残念です。その一言です。70歳ですから……。すみません……。最期の本人とは会えていません。最後会ったのは、2月25日に麻布十番で身内だけで古希の祝いをやったんです。そのときが最後でした。そのときは喜んでいたんですけどね」
――最後にどんな言葉をかけたいですか。
「ずっと忙しく仕事を頑張っていたので、ゆっくり休んでくださいといいたいです。残念です」
――肺炎を患われてから健康に気を遣っていたといいますが。
「以前肺炎になったときに苦しんだので、それからたばこは全然吸っていません。お酒もだいぶ減ってきたんですよ。それまではたばこもお酒も飲んでいたけどね。1日3箱、お酒も結構飲んでいた。鹿児島のいも焼酎で好きな銘柄があって、いつも決まったその銘柄をけんは飲んでいました。でも今年の正月に(実兄宅に)来たときは量も少なくなったし、(飲みに行っても)うちに帰る時間も決めて帰るといってたけどね。最近は少しは体調に気を遣っていました」
――陽性とわかった後は?
「古希祝いをやって以来会っていないし、(病院へ)行っても会えないですから。葬式の関係で、葬祭屋さん行って、家族葬でやるんですね。本当に人数を少なくって。お別れ会をどこか、コロナが静まった頃、イザワオフィスさんと協議してやる予定です」
――志村さんは家族にとってどういう存在でしたか?
「50年以上、芸能界の第一線でこうやって頑張ってきたのは凄いことだと思う。凄かったと思います」