2回分の着替えを車いすの後ろに持って
――当時はまだまだ、障害者は施設で暮らすことが当たり前の時代でした。そんな中、自立生活はどうやって始めたのですか?
木村 高校卒業後は「三井絹子さんという人が国立市に『かたつむりの家』という障害者の自立生活のための家をオープンした」という毎日新聞の切り抜きを大事に取っておいて、それだけを頼りに国立に行きました。
そこで「かたつむりの家」にお世話になって自立ができたんです。「私にも普通の健常者と同じ権利があるんだ」というのは、三井さんたちと暮らしてみて初めて本当の意味で実感したような気もします。
――「かたつむりの家」に初めて行った時はお1人で移動されたんですか?
木村 そうです。車いすの後ろに2回分ぐらいの服を持って。お金は片道切符だったような気がします。行って、ご飯を食べさせてもらって、帰り賃を借りたりとかして。
――たくましいですね。
木村 本当にみんなに助けられましたね。その後、国立市で三井さんと一緒に活動する中で、「私も同じような自立の家を作って仲間を施設や親元から出したい」という夢ができて、26歳の時に多摩市に移り住んで「自立ステーションつばさ」を立ち上げまして。
その間、結婚したり子どもが生まれたりしつつ今に至っています。
活動を支えてくれる、夫との出会い
――夫の雅紀さんとの出会いについても伺えますか。
木村 「かたつむりの家」の活動で出会いました。当時は公的な介護制度が少なかったので、「専従介護」といって、少ない介護者を何人か共同で雇っていました。そんな経緯で、彼が「かたつむりの家」の専従介護者として雇われたんです。
ただ、彼は男性の障害者の介護の担当者だったので、私個人の介護者ではなかったです。一緒に活動をしている中で、恋愛関係になったという感じですかね。
――雅紀さんが入院されていた時に何度も通われたそうですね。
木村 ええ、彼に持病があったので、入院先に行ったりしました。遠い昔なんでちょっと忘れちゃいましたけど(笑)。結婚してからもう30年とかそんな感じです。
――雅紀さんのどんなところが好きですか?
木村 え〜、それは難しい質問ですね……。好きな部分とか言われてもね(笑)。
最初に恋愛関係になった時に、兄弟や親族のような、身近な安らげる感じがよかったんですかね。だから、いわゆるラブラブみたいな感じではなかったと思います。